奈良時代初期に編纂された歴史書。公式に認められている公文書であり、現存する日本最古の正史である。
ほぼ同時期に編纂された『古事記』と合わせて「記紀」と称される。日本の地方史を記述した『風土記』の大部分が失われているため、記紀の記述が日本の古代史を知る主なよりどころとなっている。
『古事記』が完成した8年後の養老4年に、舎人親王を代表とする撰者によって編纂された。
全30巻に系図1巻という壮大なもので、第1巻、第2巻は神話を扱う「神代」の巻である。
文体は漢文で、その形式はおおむね起こった出来事を年代順に記す編年体で書かれている。
また特徴の一つとして、官選の公式な歴史書として、実証的な姿勢が取られていることが挙げられる。
正文に依拠したのとは異なる資料からの引用も「一書に曰く」として載せて、異なる説もきちんと示している(一方『古事記』の場合はさまざまな伝えを集大成して明確に一つの筋立てを持っている)。
「神代」の巻の存在や、異説の列挙といった『日本書紀』の公正で厳格な編纂態度は、中国正史や史記とはまったく異なっている。
人類学者レヴィ=ストロースが「『日本書紀』は、より学者風」と評している。
古事記では、神武天皇の妃が「母君のせやタタラ姫が便所にいた際まんこでびっくりして生まれたのでほとのいすすき姫としたが」と書かれているのに対し、こちらは「ヒメタタライスズ姫」と書かれる。
最初のカオスの表現 「渾沌(まろかれ)たること鶏子(とりのこ)の如くして、溟滓(くぐもりorほのかに)て牙(きざ)しを含(ふふ)めり」に中国思想の影響が一応みられるが、かなりアレンジされたものという見方が普通。
いわゆる東南アジア等によく見られるハイヌウェレ型神話(もののけ姫のラストのようなもの)の描写、月読の尊にぶった切られた死体から出る作物と体の対応は、「朝鮮語による駄洒落」になっている(ここら辺は外国向けに作られたことが関係しているのかもしれない)。いやこういう公式が病気は、『旧約聖書』のなかで一番きつい伝道の書(コーヘレト書)でもダジャレがきついそうなので、よくあるものらしい。