概要
大阪市南部から堺市にかけて路線をもつ路面電車。元は南海電気鉄道の路線であったが、1980年に経営分離された。現在でも南海の子会社である。
本線格である阪堺線は、全線に渡って、南海本線と競合している。このうち堺市ではLRT計画があり、それと乗り入れる計画もあったが、反対派の市長が当選したことから計画は頓挫した。
呼び方は「はんさかい」ではなく「はんかい」。なお、「阪堺電鉄」とは、戦前に同じく大阪市内と浜寺を結んだ路面電車のことで、後の大阪市電三宝線の旧称である。走っている地域や路面電車という形態もそっくりだったことから紛らわしく、当時の人々も「阪堺電鉄」を「新阪堺」と呼んで区別していた。
語感的には「半壊電車」とも読むことができる。もっとも、平成14年度に一度黒字化したものの、平成18年度に再び赤字へ転落している昨今の経営状況を如実に現してるというのは、間違いでもない。特に阪堺線恵美須町駅〜住吉駅間及び我孫子道駅〜浜寺駅前駅間(堺市部分)の経営状態が悪く、堺市部分だけで赤字の大半を産み出していることから、堺市区間の廃止が囁かれている。一方、沿線人口の多さや競合路線の少なさから、天王寺駅と阿倍野・住吉の住宅街を結ぶ上町線は比較的好調な経営であり、なんとか堺市内の赤字相殺に努めている。
・・・全壊電車になる前に経営状況を好転したい所だが、そのためには支援が不可欠であろう。
赤字区間を抱える堺市内においては、運賃補助(1区運賃=200円、2区運賃=290円となるところを上乗せ分の90円を堺市が負担し、全線一律運賃を実施)や、低床式車両の導入支援など、既存路線の活性化に対しては一定の動きが見られるが、新規路線の建設(堺市駅〜堺駅間のLRTなど)に関しては消極的である。この新規路線凍結によりついに阪堺側も堺市内廃止という手段に出る構えであったが、開設凍結を政策の一つに掲げて当選した市長自身が「これはやばい」と実感したのか、後に阪堺への支援増額を決めた。
その結果、堺市内の利用客数は上町線との直通運転や堺市の運賃補助などの支援もあって、平成23年度の堺市内の利用客数は対前年比で約50万人増といった成果をあげている。その一方で、恵美須町〜住吉間の利用客数は減少に歯止めがかからず、2014年3月から日中の運転本数が毎時5本から3本へ、朝夕ラッシュ時ですら毎時4〜5本の運転となる大幅な減便を強いられている。
路線
- 阪堺線
- 恵美須町-浜寺駅前
- 上町線
- 天王寺駅前-住吉公園
日中および土休日の運転系統は、天王寺駅前-浜寺駅前・あびこ道の2系統が交互に12分間隔、恵美須町-あびこ道の系統は1時間あたり3本(運行間隔は約13〜24分おきとバラつきがある)が運転される(天王寺駅前-住吉間はあわせて6分間隔、住吉-あびこ道間は3-6分間隔で毎時15本運転)。また住吉公園への乗り入れは朝7-8時台のみとなり、平日5往復・土休日4往復のみと大幅に削減された。これ以外の時間帯はホームが封鎖されており、東側徒歩1分の位置にある住吉鳥居前から乗車するよう案内されている。
車両
かつては最新鋭の車両を次々と投入していたが、子会社化後、特に平成に入って以降は新型車両の導入には消極的で(2012年以前の最新車両は1996年設計・1999年製だが、車体及び台車・モーターなどの主要機器以外は旧車両の機器を流用している)ある。日本でも数少ない超低床車(LRV)が存在しない路面鉄道会社となっていたが、後述の通りついに登場した。
古い車両の場合、全国の路面電車事業者の同世代の車両より全般的に大型・ハイスペックな車両が多いが、昭和30〜40年代に全国で次々登場した機器流用車においても新型台車を新調するなどややコストダウンに無頓着な面があり、その結果お金か無くなり、大阪市電の中古車で車両置き換えを間に合わせた(この車両は2000年に全廃)という話もあったりする。
2013年春、堺市の支援により新たにアルナ工機製新型車両モ1001形「堺トラム」を導入。阪堺初の超低床車両であり、2013年秋よりデビューした。全3編成登場予定で、この車両の導入により夏季の冷房化率100%を達成できるものと見込まれるが、代わって最古参であるモ161形が3両廃車される。
モ161形
阪堺で最古参の車両。というか、全国で普通に営業運転を行う車両としては日本最古参というとんでもない車両。2014年現在は8両が稼働しているが、新型車両の導入により7両となる予定。
一番古い車両はなんと昭和3年(1928年)生まれ。これがどのくらい古いのかと言うと、桂歌丸師匠より8つも年上であり、鉄腕アトムどころか黄金バットすらまだ生まれていない時代であり、永井一郎さんが「バッカモーン」どころか「オギャー」も言っていない時期であり、なんと初代通天閣が現役の時代から走っている(阪堺線の起点・恵美須町駅は新世界の真ん前である)のである。
ただしこの車両は非冷房なので夏季(6月後半〜9月末)は平日朝ラッシュ時の1往復以外は代走を除いて入ることはなく、2014年以降は堺トラムの導入と阪堺線系統の減便により夏季の定期運用から完全撤退することが予想される。なお、このモ161形は近年のレトロブームのおかげか人気が急浮上しており、それに乗ったか阪堺側もファンサービスのために昔の姿への復元や様々な懐かし塗装を施すなどしている。
モ501形
1957年に登場した車両であり、当時全国で流行していた、アメリカPCCカーの流れを組む高性能車の一つ。カルダン駆動だけでなく、路面電車では異例中の異例とも言われた空気ばね台車を採用し、その性能は同時期の高性能車の中でも群を抜いた優秀さを誇る(ちなみに南海自体で初の空気ばね台車採用車である)。
ところで多くの路面電車では高性能車は在来性能車に比べ扱い辛かったことから、普通鉄道と異なり高性能車はすぐに淘汰され、1980年代に技術進歩が始まるまでずっと吊り掛け駆動・直接制御の在来性能車一辺倒という時代が続いた。
60〜80年までは路面電車の衰退期とも重なり、技術の長い停滞を招いたのだが、阪堺では幸いにも連結運転を行っていた関係で間接制御(高性能車の制御装置としてつきものであると同時に、連結する車両にも不可欠)車が多く、この車両は他所の高性能車のように在来性能へとダウングレードされることなく、今日まで当時の性能を保っている。
モ351形
1962年に登場。モ501と同じ車体であるが、駆動装置などは旧型車のものを流用しており、全国て流行った高性能車の廉価版の一つ。…なのであるが、上述している通り、阪堺はこの車両において主電動機以外の大半の機器を新造した。そのため空気ばね台車や間接制御機器を採用した贅沢な仕様となっており、製造コストはモ501と大して変わらないという本末転倒ぶりである。そのため製造が5両で打ち切られ、廃線となる大阪市電から中古車を貰ってその場をしのぐことになった。
1980年代後半にモ501形と共に冷房化されたため、モ161形と違い夏季も変わらず運用に入る。夏場に吊り掛け駆動のモーター音が聴こえたら、モ351形の方だと思って間違いない。
モ701形
1980年代になって、全国でストップしていた路面電車の車両製造が再開され、路面電車自体も見直され出した。その過程において1987年に阪堺が分社化後初めて新造した車両である。
南海グループでは今のところ唯一となるワンハンドルマスター・コントローラーを採用するなど技術革新にも積極的な姿勢はかつてと変わらないが、VVVFインバータは採用されなかった。最近はLED幕が採用されたり、車内案内表示にLCDが使われたりと、色々カスタマイズされている。全ての車両が広告をまとっている。
モ601形
1996年より製造。モ701形と異なり、制御機器やブレーキなどを昭和4年製の元大阪市電旧型車から流用した。とは言っても流用部品は大阪市電から買い取った昭和40年頃に改造した際に新たに取り付けた部品に限られている。モ351と異なり、こちらは駆動装置の方を新造しているため、吊り掛け駆動ではない。台車はモ351と同じく、新造である。見た目で言えば、モ701と違い前照灯横のブレーキランプが省略されている(ブレーキ性能が劣るため、とされる)。
そのため、モ701のライトがコンビランプっぽいのに対し、モ601は一つ目風である(ブレーキランプ自体は前照灯より遙かにスペースが小さいので、モ601でもスペース自体は残されている)。
モ1001形「堺トラム」
当該記事参照。