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巻波(駆逐艦)の編集履歴

2015-06-26 23:25:22 バージョン

巻波(駆逐艦)

まきなみ

大日本帝国海軍の駆逐艦の一つ。

概要

夕雲型駆逐艦の5番艦。

1942年8月31日、第二水雷戦隊第三十一駆逐隊長波とともに編入された。9月6日、第三戦隊(「金剛」、「[[榛名>戦艦榛名」」。栗田健男中将)を護衛して豊後水道を出撃し、9月10日にトラック諸島に到着した。ただちに補給を受けた後、翌9月11日にトラックを出撃して2日後に第二艦隊の主力に合流した。ソロモン諸島東方海域で行動の後、9月23日にトラックに帰投し、引き続き第三戦隊を護衛し、10月11日にトラックを出撃。第三戦隊による10月14日の砲撃を援護した後、再度第二艦隊に合流して重巡洋艦部隊の護衛に回った。10月26日の南太平洋海戦を経て、10月30日にトラックに帰投した。


最期

1943年1月12日から24日まで、ニューギニア島ウェワク輸送作戦に参加し、2月1日、第一次ガダルカナル撤収作戦では第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将の旗艦としてガダルカナル島に向かった。しかし、同日夕刻に敵機との交戦中、至近弾により大破し、36名が戦死し航行不能となった。橋本少将を「白雪」に移した後、「文月」に曳航されショートランドで仮修理工事を実施し、さらにトラックで応急修理を行った後、4月24日から9月14日まで舞鶴海軍工廠で本格的な復旧工事を実施した。


修理を終えた後、上海に回航されて第十七師団輸送の第一次丁二号輸送に参加。10月2日にトラックを経由してラバウルに進出し、輸送任務を終えた。トラックに帰投後は第三艦隊と行動をともにしてエニウェトク環礁に進出したのだそうだ。その後、僚艦「大波」とともにカビエンへの輸送任務を行い、ラバウルに到着後は第十戦隊の指揮下に入って、ブーゲンビル島タロキナ輸送に輸送隊として参加した。


日本軍はアメリカ軍の次の目標をブーゲンビル島北西のブカ島とにらみ、戦力強化のため第十七師団の一部をラバウルより輸送することとなった。第一次輸送は11月21日に行われ、妨害を受けることなく輸送は成功した。11月24日、第二次輸送のためラバウルを出撃。ブカ島に兵員、物資を陸揚げし、代わりにラバウルに引き上げる海軍の航空要員600名を乗せて、22時45分にブカ島を離れた。


その帰途の11月25日、ニューアイルランド島セント・ジョージ岬東方海上でアーレイ・バーク大佐率いる第23駆逐部隊の先制雷撃を受け(セント・ジョージ岬沖海戦)、魚雷の命中により左側に傾斜した。やがて、接近してきたアメリカ駆逐艦「コンヴァース」および「スペンス」からの砲雷撃を受けた。巻波が何とか発射した反撃の魚雷1本はコンバースに命中したが、爆発しなかった。コンバースからの魚雷5本を含めて乱打された巻波は、未明1時ごろに沈没していった。駆逐艦長人見豊治中佐以下多くの乗員が艦と運命をともにしたが、生存者29名はカッターに乗り移り、ラバウルに帰還する事ができた。

1944年2月10日除籍。


関連タグ

大日本帝国海軍

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