徳川吉宗
とくがわよしむね
江戸幕府八代将軍。
江戸幕府の八代将軍。紀伊徳川家の出身。幕府中興の祖とも言われるほど、名君と称えられる。
元々は紀州家の三男であったが、兄たちに子供がおらず紀州家を継承する。一方で徳川宗家においても、家綱・綱吉が共に跡継ぎを儲けられず、この時点で家光唯一の男系子孫である徳川綱豊の系統も7代将軍家継が夭折したこととその叔父松平清武が高齢かつこれもまた跡継ぎがいないことで、将軍後継者がいなくなってしまった。
宗家に跡継ぎがいない場合に対して、御三家から後継を選ぶこととなっていたため、江戸幕府始まって以来の御三家出身将軍として擁立。この時御三家筆頭の尾張家との間で政争があったものの、大奥らの支持を経て将軍の座を勝ち取った。
危機に瀕した幕府財政を質素倹約で立直し、大岡忠相を起用した社会政策、飢饉対策など多くの課題に取り組み成功させた。江戸の美化・緑化や行楽地の整備に意を払い、殺風景だった江戸の町を緑したたる美しい街に変えたのも吉宗の功績である。
ただし最大の課題であった米価の安定は不調に終わり米将軍と揶揄される結果に終わっている。
史上でも偉人と称えられるにふさわしい業績を残した人物であるが、徳川幕府の歴代将軍の中でも知名度が高い理由は主に時代劇『暴れん坊将軍』の影響が強く、「徳川吉宗役=松平健」と刷り込まれている人も非常に多い。
一方で『大岡越前』での山口崇演じる奔放すぎる人物像が焼きついている人も相当数いるようである(人によってはこの両方を繋げてネタにするとか…)。
吉宗以降、紀州徳川家の血統は幕末近くまで将軍家の主流として栄えた。