歴史
1958年、国鉄の技術の粋を集めて設計された151系電車を使用し運行開始。東京~大阪・神戸を結び、
東京大阪間は最速で6時間30分にまで短縮。日帰りを可能にし、ビジネス特急と呼ばれた。
1960年からは食堂車やビュフェ、展望席のパーラーカーなどの車両を連結し、絶頂期を迎える。
また、「つばめ」・「はと」もこの時電車化される。
しかし1964年、東海道新幹線に役目をゆずり、在来線から「こだま」は消滅した。名称は各駅停車タイプの「こだま」に引き継がれた。
パーラーカー
1960年から連結された車両。その豪華さから今でも語り草になっている。
まず1等車開放室シートは両側に1席ずつ、窓に向けて斜めに座席を回転させることができ、
車内電話や給仕のサービス、さらに当時としては破格の1×2mサイズの窓で、展望を楽しむことができた。
運転室側には4人掛けの区分室があり、こちらも豪華で現在のファーストクラス並みのサービスが受けられた。
ただ東海道新幹線開業後は山陽本線の特急(「しおじ」など)に転用したものの、東海道本線に比べて需要がほとんど無く、当然ながら利用率は低迷した。結局1969年までに開放室は2等(普通車)に格下げとなった。さらに1973年には区分室も普通車に改造されてしまった。これによりパーラーカーは姿を消した
。
かえだま
151系の数に余裕が無く、事故に巻き込まれたり災害などで車両のやりくりがつかなくなった場合は153系や157系で運転されることがあり、これは「かえだま」、「にせだま」などと呼ばれ敬遠された。当時、子供が嫌がって乗らなかったというエピソードがある。