薩摩藩・日本陸軍の火器専門家だった村田経芳がフランスのグラース銃(金属薬莢用に改造されたシャスポー銃)の国産化を図る過程で開発し、明治13年(1880年)に日本軍が採用した最初の国産小銃。
三十年式歩兵銃登場まで大日本帝国陸海軍の正式銃として使用された。
バリエーション
十三年式村田銃
最初に開発されたモデルで、単発式のボルトアクション。
改良型の十八年式村田銃と騎兵銃型の十六年式騎銃が存在する。
二十二年式村田連発銃
明治22年(1889年)に再度渡欧した村田恒芳により開発される。
管状弾倉を持ち装弾数が8発に増えた他、無煙火薬の弾薬が採用された。
しかし十三年式や十八年式と比較し様々な問題点が有り軍用小銃としては短命に終わった。
騎兵銃型も存在する。
猟銃としての村田銃
旧式化した十三年式、十八年式の一部が散弾銃に改造されて民間に払い下げられ、
外国製の猟銃と比べ安価だった事から庶民の猟銃として昭和30年代に至るまで親しまれた。