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呉田軽穂の編集履歴

2016-05-17 22:12:24 バージョン

呉田軽穂

くれたかるほ

呉田軽穂とは、日本の女性作詞、作曲家。

概要

名前の由来は女優グレタ・ガルボから。

代表曲は松田聖子に提供した『赤いスイートピー』、『瞳はダイアモンド』、『渚のバルコニー』、薬師丸ひろ子に提供した『WOMAN~Wの悲劇より~』がある。


1980年代を中心に多くのアイドルに楽曲を提供し、ヒットさせた実績を持つ。その為、『女・筒美京平』の異名で呼ばれる事がある。


正体

シンガーソングライター松任谷由実(以後、「彼女」)。


何故、名義を使い分けるのか

1982年、作詞家の松本隆から、「松田聖子に1曲書いてほしい」と打診があったが、彼女は頑なに断った。当時の彼女が志向する音楽と「ザ・芸能界」の象徴ともいうべき歌謡アイドル界はライバルのような関係で、また、ぶりっ子のような振る舞いの聖子に好印象を持っていなかったからである。

しかし、松本隆による必死の説得の末『ライバルに曲を書いてみない?』という一言で聖子への楽曲提供に同意した際、彼女が突き付けた条件が自分の名前を出さないことであり、彼女が持っていた呉田軽穂というペンネームを使うことで決着を見た。

そんな紆余曲折がありながらも、リリースされた楽曲が聖子の代表曲『赤いスイートピー』である。


その後も彼女はこの名義で聖子に何曲も楽曲提供しており、彼女はいつしか『チーム・松田聖子』の重要なポストに居た。

後年、当時の事を聖子は「毎日、私と、松本さんと、ユーミンさんの三人で作戦会議してましたね」と、当時の状況を語った。


この名義はさまざまなアーティストへの楽曲提供の際に使用されていたが、原田知世芦田愛菜等への楽曲提供の際には本名の名義で提供しており、現在となっては何故、使い分けるのかは不明である。

一説によると、彼女が気に入った人物に提供する際には本名の名義だが、あまり好印象でない人物に提供する際には呉田の名義を使うという噂や、自分が歌う気がない楽曲は筆名で提供して自分も歌いたい楽曲は本名で提供(彼女のセルフカヴァー曲も存在)するという情報もあるが、真実は謎である。


関連項目

作曲家

松任谷由実

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