1351年~1767年まで存在し、タイ全土と一時期は現在のラオス、カンボジア、ミャンマーの一部を統治するほどの勢力を持っていたアユタヤ王朝が作り上げた遺跡群である。
中心都市であるアユタヤは、流れの穏やかなチャオプラヤー川に位置した貿易に持ってこいの地形で、アユタヤ王朝のナーラーイ王は、それを利用し貿易を独占して莫大な利益を収めることに成功し、同時に上座部仏教を信仰していたことから、この莫大な利益を元に数々の寺院を作り出した。
しかし、後にビルマの侵略を受けてアユタヤ王朝が崩壊し、多くの建造物や石像が破壊されてしまい、世界的に見ると多くがまだ比較的新しい建造物でありながら、ほとんどが瓦礫のみとなってしまっている。
だが、仏教文化の粋が詰まったこの遺跡は、9割が仏教徒で占められているタイ王国の国民にとっては紛れもない聖域であり、世界中の仏教信仰者たちにとっても聖地とされている。
遺跡群はチャオプラヤー川とその支流であるパーサック川やロップリー川に囲まれた中州に集中しており、敵軍の攻撃を防御するため、中心部の回りに運河を掘ったことによるもの。
上述したビルマの攻撃から、建造物の多くは瓦礫となっているが、ワット・プラシーサンペットやワット・ローカヤスターラームなどの寺院跡や、王宮跡は残っており、王の台座も無事である。