概要
『法華経』の「観世音菩薩普門品(観音経)」において示された三十三の観音の姿のうち、辟支仏身(プラティエーカー・ブッダ、縁覚、独覚)に対応するとされる。
「縁覚」とは十二の因果の理法「十二因縁」やその他の縁なるものを観て悟りに至った者、別名の「独覚」とは師につかずして独りでに悟りに至った者、という意味。
「辟支」は原語の「プラティエーカ―」を音訳したものである。
釈迦のような仏陀や阿羅漢と異なり、自分から他者に教えを説き救いに導かないことから、大乗仏教では「小乗」的なるものとして菩薩よりも下におかれた。
「観音経」を納める『法華経』は一般的な大乗仏教では「二乗」と呼ばれ一段劣ったものとされる「縁覚」や「声聞」も実は仏の方便であり、彼等も真の仏陀、如来の最高の悟りに至る事が出来ると説かれる。
辟支仏身に相当する水月観音の像は、巌の上に座し、空の月を見上げるか、水面に映る月をみつめる姿で描写・造形される。
水面に映る月(水月)を観想する修行法が大乗仏教には存在し、「水月観」という名で呼ばれている。
空の月と水に映る月は、仏とその垂迹(化身)や、仏と信徒への加護、といった関係性の象徴として語られ、水面の月は世界の万物には「実体」が無いという「空」を説明する際にも譬えとして用いられた。
海に浮かぶ岩の上に座したこの観音は、実をつける草の入った水瓶を傍らに置いていたり、花の開きかけた蓮華を左手に持ち、右手は肩の高さにあげて施無畏印という形にしているパターンがある。
この二つの場合、腕は二本だが、密教においては三面六臂のパターンもある。
密教における水月観音は水吉祥観世音菩薩、またの名を「潤生金剛」と呼ばれ、胎蔵界曼荼羅に描かれる。
岩の上に如意輪観音のように片足を立てて座り、左側の三本の手には宝蓮華、金輪、孔雀の尾、右側の三本の手には利剣、宝珠、青蓮華を持つ。
この姿は「水定」という禅定の境地にある状態だという。
中国での作例としてはネルソン・アトキンズ美術館所蔵の像、日本での作例としては北鎌倉の松岡山東慶寺の像が有名である。