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ピエール・ド・ランクルの編集履歴

2017-05-02 05:19:07 バージョン

ピエール・ド・ランクル

ぴえーるどらんくる

ピエール・ド・ランクルはフランスの監察監、判事にして殺人鬼である。

概要
ペール・ド・ランクル:Pierre de Runkle,1553年- 1631年)はフランス判事にして監察宮そして殺人鬼である。ただし厳密には殺人教唆。

略歴

16世紀にボルドーの葡萄酒醸造の家で生まれ、王軍士官の養子となりトリノやボヘミアに留学し、79年に法学博士となる。そして1599年、聖地ローマへの聖地巡礼で少女が少年の姿に変わるのを目撃した。 もちろん虚言か幻覚であったが、この出来事でランクルは歪んだ正義感から魔女の根絶を決意する。その後ランクルは後に人生の師匠となるアンリ・ボゲの「魔女論」に触発され、さらにアンリ四世からラブール地方の監察官に任命され魔女の撃滅という職務に励み出す。

ランクルはラブール地方のイギリス人にスペイン人やフランス人も含む女性達に魔女の疑いがあると理由を付けて逮捕し、魔女の目撃談を強引に語らせ拷問部屋に押し込み後はひたすら肉体的、性的、精神的な拷問を加えて自白させた。ランクルの犠牲者はほとんど少女と若い女性ばかりで中には10歳の少女もいた。少女らは悪魔との性交渉について尋ねられても性経験が無い為いくら拷問されても答えることができず、ランクルが性交渉の方法を誘導尋問するという形で悪魔との交わりを供述した。

あまりにも少女など若い女性ばかりを逮捕し、さらに法律に違反する拷問までも行うランクルは教会から破門されかけながらも、魔女狩りを続けた。

そして1613年、ランクルは著書「悪しき天使とデモンの無節操一覧」という600ページに及び本を書き上げた。彼は「600人以上の魔女を焼き殺した」と自称し、その後悪運強く残念ながら78歳で天寿を全うするまでそれを誇りにしていたという。

備考

  • ランクルらの魔女狩りは魔女狩りが目的ではなく、若い女性や少女に対して性的行為を行っていたというのが一般的な説。獄死した人々はレイプ後に口封じとして殺害したものと思われる。
  • 魔女狩りを行ったイギリスの魔女狩り将軍マシュー・ホプキンスは彼の影響を受けた可能性もある。


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