概要
少年時代に見た早慶戦をきっかけに早稲田大学で野球をすることに憧れ、芝浦工業大学柏高校を卒業して2浪した後、憧れの早大の教育学部に入学し、野球部に入部。そこで頭角を現した。
選手時代
制球力が非常に高いことから「投げる精密機械」、「ミスターコントロール」などと呼ばれた。風避けのアイウェアとヒゲ、そして独特のセットポジションが特徴。
多様な球種をもちつつ、制球力も非常に優れており、両者が噛み合うときは相手チームがどのような強力打線であっても、緩急巧みに翻弄する鮮やかなピッチングを見せた。
かのイチローも、「最も打ち崩したい頭脳派投手として小宮山さん」と高く評価していた。
その小宮山も、インテリヤクザこと牛島和彦の理論に影響を受け、逆にエースとしての心構えは魂のエース・黒木知宏が強く尊敬していた。
なお、1998年に喫したロッテ18連敗において、6月13日に最初の敗北を喫した時の投手も7月9日に連敗がストップした時の投手も実は小宮山だったりする。
1999年オフに球団とのゴタゴタで退団、横浜ベイスターズに入団するも翌年オフにFA宣言し、ニューヨーク・メッツに入団、メジャーリーグデビューを飾る。
しかし強打力の前に為す術もなく、未勝利のまま2002年を終え帰国。2003年はトレーニングをしつつ「現役選手」という肩書きで野球解説をして糊口を潤していた。
2004年、古巣の千葉に戻り、翌2005年の日本一にも大きな貢献をした。2009年シーズンを以て引退。
「野球選手としての立場がなければブリーフ1丁で応援する」と語るほどの熱烈な柏レイソルサポーターとしても知られる。2005年の優勝の際のビールかけの時には「がんばれレイソル」(と「横浜Aクラスおめでとう」)と書かれた水泳帽を被り、ジェフ千葉の試合に招かれるとレイソルのユニを着て登場しジェフサポから熱い罵声を受け、引退後は上述の通りJリーグの理事を務めている。