スオムス義勇独立飛行中隊
すおむすぎゆうどくりつひこうちゅうたい
概要
1939年11月10日に編成。組織上はスオムス空軍第3機械化航空歩兵大隊の一部隊であった。本拠地はヴァーサ州カウハバ。
- 「州(Lääni)」は、史実・現実で2009年まで存在したフィンランドの伝統的地方自治体。2010年より州は「県(Maakunta)」に移行し、カウハバは南ポフヤンマー県に所属。
- 作中では、意図的か錯誤かは不明だが、カウハバはミッケリ(実在。史実の旧州ではミッケリ州、現行の県では南サヴォ県)の東方約80kmに位置するスラッセンという街の東隣に位置するとしていた。『娘Type』に掲載された「キミとつながる空」第4話や「WORLD WITCHIES」穴吹智子編ではカウハバは現実同様の位置に、スラッセンはスオムッサルミ近郊とされている。
略史
1939年の第二次大戦勃発によってウラル山脈以西のオラーシャ(『スオムスいらん子中隊』シリーズでは『ネウロイの国』となっているが、本記事では現行設定に従う)が陥落し存亡の危機に立たされたスオムス政府は、列強各国に対して航空ウィッチの派遣を要請した。当時のスオムス空軍の航空ウィッチ部隊は3個中隊規模に過ぎず、数千キロに及ぶスオムス―オラーシャ国境を守るには不安があるとしたのだ。
列強各国はスオムスの要請を承諾した…のはいいのだが、実際に派遣された航空ウィッチで戦力と言えたのは、2年前の扶桑海事変のエース・穴拭智子と、オストマルク国際監視航空団などで実績のあるブリタニアのエリザベス・F・ビューリングのみ。しかも後者はブリタニア空軍稀代の問題児でもあった。当然チームワークは最悪で、スオムス空軍のウィッチからも軽視されていた(もともと『いらん子中隊』とは、彼女たちが義勇独立飛行中隊につけた蔑称である)。
しかし同年12月下旬の大型爆撃機型ネウロイ「ディオミディア」撃破(これは世界初の大型ネウロイ撃破例であった)を契機に部隊の結束力は強まり、多くの戦果を積み上げていく。各国も義勇独立飛行中隊への支援を行うようになり、兵器技術者の側面も持つウルスラ・ハルトマンの存在もあって、試作ストライカーユニットや兵器、寒冷地装備の実験部隊の様相も帯びる。
何よりも重要なのは、義勇独立飛行中隊の戦果が「世界各国から選抜された優秀な航空ウィッチから成る部隊」=統合戦闘航空団構想を産み、1940年の「ダイナモ作戦」、1942年の統合戦闘航空隊「アフリカ」編成を経て、第501統合戦闘航空団「ストライクウィッチーズ」につながっていったことであろう。
その後の「いらん子中隊」
1944年までに、義勇独立飛行中隊はスオムス空軍から人類連合軍北部方面総司令部に移管され、第507統合戦闘航空団「サイレントウィッチーズ」に改編された。この時点で既にエリザベス・ビューリングとウルスラ・ハルトマンはカウハバ基地を去っていた。
ビューリングは1942年のごく短期間マルタ島防衛隊に移り、第2次マルタ島防衛戦にてロマーニャ、カールスラントのウィッチと協力して、島の脅威となっていた大型ドーム状ネウロイを撃破したのち、別の任地に向かった。ウルスラはディオミディアを倒したロケット兵器の開発の功を買われ、カールスラント技術省に出向した。
501JFWメンバーの、ガリア解放後から再編成直前までの動きを描いた漫画『キミとつながる空』第4話では、507JFWは義勇独立飛行中隊時代から引き続きカウハバに駐留していること、少なくともエルマ・レイヴォネンと迫水ハルカがカウハバ基地に勤務していることが示唆されている。
所属ウィッチ
※◎は隊長を指す。括弧内は(出身国、階級)。
◎(初代)エルマ・レイヴォネン(スオムス、中尉)
◎(2代)穴拭智子(扶桑皇国、少尉)
迫水ハルカ(扶桑皇国、一等兵曹)
エリザベス・F・ビューリング(ブリタニア連邦、少尉)
キャサリン・オヘア(リベリオン合衆国、少尉)
ウルスラ・ハルトマン(帝政カールスラント、曹長)
ジュゼッピーナ・チュインニ(ロマーニャ公国、准尉)