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14系15形の編集履歴

2017-11-06 00:46:35 バージョン

14系15形

じゅうよんけいじゅうごがた

日本国有鉄道の寝台客車系列の一つ。

概要

 14系はB寝台のベッド幅の拡充(52㎝→70㎝)という大変革をもたらしたが、一方で国鉄線(現在のJR線)の在来線車両限界に3段ベッドを押し込んだ高さ方向の窮屈さ(空頭68~70㎝)は依然そのままであった。これは子供ならともかく、大人では、女性でも寝台内では起き上がった姿勢でいられない寸法である。


 14系が登場して1年も経たない1972年11月、北陸本線敦賀~南今庄間の北陸トンネルで発生した、急行「きたぐに」号火災事故(火元となったのは、食堂車オシ17形の電気暖房器とされた)を契機に、派生系列と言うべき24系が1973年に登場、その2段ベッド化グループとして24系25形が1974年に登場、14系15形はそのコンセプトを元系列である14系に適用したグループである。元々14系自体が省力化を旗印にした系列であったため、ベッドの2段化は、それをさらに進める形となった。


 レイルウェイ・ライターの種村直樹氏は24系25形登場時「素晴らしいサービス」と評したが、それは登場時点での料金が1,600円と物価水準とサービス拡充内容に比して妥当であったため。


製造・運用

 14系15形は、B寝台車の2形式のみが63両製造された。基本形式のオハネ15形が42両、発電エンジン搭載の緩急車スハネフ15形が21両である。新製配置されたのは、門司鉄道管理局早岐客貨車区(門ハイ)である。


 1978年10月2日の時刻改正から、寝台特急「あかつき」号で運用を開始、以後約5年半に亘って「あかつき」号の運用を担当。1984年2月1日の時刻改正で早岐客貨車区が廃止されたため、63両全車が大阪鉄道管理局向日町運転所(大ムコ)に転属した。この改正で、「あかつき」(下り1・上り4)号の佐世保行が廃止され、西鹿児島(現在の鹿児島中央)行「明星」号に立て替えられた。


 1986年11月1日の時刻改正(国鉄最後の時刻改正でもある)で、「明星」号は廃止(季節列車に格下げ)、あわせて併結列車の「あかつき」(下り1・上り4)号も廃止され、「あかつき」号は新大阪⇔長崎・佐世保間の1往復のみとなる。代わって新たに「彗星」号(新大阪⇔都城間)が、それまでの24系25形から14系15形に置き換えられた。熊本鉄道管理局熊本客車区(熊クマ)へ一部が転属し14系との混用となった。


 国鉄民営化の際に52両がJR西日本へ、11両がJR九州へ承継された。オハネ15形38・39号の2両が24系25形へ改造編入されたほか、逆にJR九州では24系25形を14系15形へ改造編入したものまで登場した。その後は「あかつき」「富士」「はやぶさ」の列車廃止まで活躍し、2013年度までにすべてが廃車除籍となった。


関連項目

日本国有鉄道 客車 寝台 寝台列車 14系 24系 24系25形

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