ここでは、アメリカ海軍の原子力空母を扱う。第二次大戦時のヨークタウン級空母などについては、エンタープライズ(曖昧さ回避)を参照のこと。
概要
本艦は、1961年11月25日に就役した、世界初の原子力空母である。2012年12月1日の不活性化(原子力艦の実質的な退役)式典まで、世界中を駆け巡り、アメリカ海軍の象徴として活躍した。同型艦はコストのため計画中止となり、彼女一隻のみでエンタープライズ級を構成している。艦名は、第二次大戦の殊勲艦である空母エンタープライズ(CV-6)から受け継いだものである。このため、あだ名も同じく「ビッグE」とされている。
来歴
1940年代半ばより核の時代が始まり、研究が進む中で、核分裂による膨大なエネルギーが艦船の動力源としても注目されるようになった。長距離高速航行を必要とする空母にとって、原子炉は非常に魅力的な機関であった。そこで原子力空母の構想が立ち上がったものの、当時はまだ空母用の大型原子炉が存在しなかったので、この空母案では巡洋艦用のC1W原子炉を改良したものを搭載することになった。当初は大型機の運用を考え、艦橋の両脇に発着艦用の飛行甲板を設置するという非常に奇抜な設計を採用する予定であったが、これではむしろ航空機の運用能力が低下すると批判を受けた。これを解決するために、キティホーク級を基本とし、原子力化を図ったのがエンタープライズである。
就役後間も無く、キューバ危機での海上封鎖に参加するという衝撃的なデビューを果たしたのち、シー・オービット作戦で原子力艦の機動性を世界に知らしめた。この後もベトナム戦争やイラク戦争など主要な作戦に参加し、2012年12月1日、ついに事実上の退役を迎えた。かつての主敵であったソビエト連邦は既に崩壊し、冷戦の終結を見届けた艦の退役は、一つの時代の終焉を感じさせた。
日本にて
1968年、ベトナム戦争の折、日本の佐世保に寄港したことがあるが、当時は学生運動の最盛期であったため猛烈な反対運動が起きた。これゆえ、反戦の象徴としても知られる。
設計
飛行甲板の形状など、船体に関してはキティホーク級を基本としている部分が多く、オーソドックスな一方で、艦橋は非常に特異な形をしていた。艦橋の4面にSCANFARシステムを構成するフェイズドアレイレーダーが装備された上、航海艦橋上部にはECMアレイを備えたパゴダ状の構造物が設けられるなど、意欲的なデザインが施されていた。しかしこれらについては改装で撤去され、かなり落ち着いた印象となってしまった。ちなみに、水線長と幅の比は7.8で、戦後の米空母の中では最も細長い。
機関
原子炉としてはウェスティングハウス社のA2W加圧水型原子炉を八基搭載。原子炉は二基ごとに一グループを作り、分散して配置された。出力は一基あたり35,000shpと小さく、かなりスペースを食ったうえ、原子炉の重さに対抗するため、船体をかなり補強したともいわれる。原子炉と四基の蒸気タービンで四基のスクリュープロペラを駆動したが、そのパワーは巨大であった。280,000馬力の出力をもって運用時の最大速力33.6ノットを叩き出し、公試では36ノットを発揮したとの話がある。これに加え、運動性を高めるため、補助舵含め舵が四枚搭載されるという贅沢さであった。原子炉が停止したときのことを考え、緊急動力としてディーゼル発電機四基を搭載していた。これは後の原子力空母では標準となる。
ちなみに、原子炉による大電力は、レーダー装備などの充実だけでなく、エアコンにも使われるなど乗員の住環境にも貢献していた。
航空艤装
キティホーク級を基本としたことから、同級とエンタープライズの航空艤装はよく似ており、同一の装備も多かった。格納庫のサイズは262.2m×32.6m×7.6mであり、ニミッツ級より広いが、搭載機全てを収容できるわけではなく、整備用に使われることがほとんどであった。一方、艦型の大型化に伴って、キティホーク級より飛行甲板の面積は増大しており、約20,000㎡の広さである。この数値は戦後の米空母でも最大級で、ジェラルド・R・フォード級に匹敵する。
性能諸元
満載排水量 | 93,284t |
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軽荷排水量 | 75,704t |
全長 | 1,088ft |
全幅 | 248ft |
水線長 | 1,040ft |
水線幅 | 133ft |
喫水 | 39ft |
※排水量はロングトン(1.01605t)
出典:
http://www.nvr.navy.mil/SHIPDETAILS/SHIPSDETAIL_CVN_65_5150.HTML
関連タグ
キティホーク級 前級。
ニミッツ級 次級。
ジェラルド・R・フォード級 後継。