概要
男性に対して差別的な言動を取るなどして、男性に対する性差別と見做される事。
基本的人権に関るものなど、社会制度の差別や文化的・慣習的な行動様式としての差別があり、上述の性差別に関しては、男性差別は女性差別に比べ無視され易く(近代にアラビア人の夫と結婚し、最終的に夫を殺害するに至ったイギリス人女性の裁判において、女性が被告であるにもかかわらず被害者であり、全ての責任が夫にあるように扱われた例など諸外国にも存在する)、真に男女平等を達成しようと言うならば、「男性差別も女性に対する性差別主義と同じくらい真剣に受け止めなければならない」と主張されている。
当たり前のことだが、性犯罪は決して男性しか起こさないものではなく、女性が男性に対して行う性犯罪も存在する。女性が成人、男性が未成年者である場合などに多発するが、ストーカー事件などは犯人の女性が老人、被害者の男性が青年などというパターンもある。すでに古語の域であるが公衆の面前で痴態を晒す女を表す語として痴女という語も存在し、1980年代後期まではラジオ放送などで普通に使用されていた。
性犯罪といえるかは微妙であるが(ハーグ陸戦条約などには違反していると思われる)シベリア抑留中の逸話としてソ連軍が大女の女兵士にハーフを妊娠させる目的を持って日本兵の捕虜を襲撃させたという話も語られている。
余談
差別を理由とした女性の権利拡大についてはかなりの著名人が否定的な見解を示している。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は女性の司祭への就任を可能にするよう要求された際、「司祭より聖母マリアになりなさい」と拒絶し、マザー・テレサも「なぜ、男と女の素晴らしい違いを否定する人々がいるのか理解できません」とフェミニズム等の性差を否定する思想潮流に警鐘を鳴らしている。
性別が男性というだけで糾弾されるようなことは決してあるべきではないだろう。
それは女性にとっても同じハズである。
具体例
東京大学教授でフェミニストの上野千鶴子は、著書の『女遊び』(238ページ)において「就職口の可能性があるとき、私自身は、できるだけ意図的に女性を推すようにしている。候補者が2人以上いて能力が等しければ、もちろん女性の方を、それどころかもし女性の方に若干問題があっても、やはり女性の方を推すことにしている。つまり、あからさまに男に逆差別を行使するようにしているのである。女性はずっと差別されつづけてきたから、少々の逆ハンディをつけなければ、男とはとうてい対等にはなれないからである。」と述べ、男性差別を肯定している。こんな人間でも東大の教授になれるのだから驚きである。