東南アジアはインドシナ半島にある立憲君主制の王国。首都はプノンペン。
国民の多くが王室を深く敬い、仏教信仰が厚い。シェムリアップには世界遺産アンコールワットがある。
概要
歴史
1世紀頃から様々な王朝が栄え、中国やインドと交易した。とくに7世紀から13世紀まで続いたクメール王朝はインドシナ半島の大半を国土とし、東南アジアの大国として栄えた。しかしタイやベトナムの干渉で弱体化し、19世紀からベトナムやラオスと共にフランス領インドシナとして植民地時代を迎える。
20世紀に大日本帝国の支援を受けて若きノロドム・シハヌーク国王が独立を宣言。第二次大戦後に完全独立し、王制社会主義のもとに統治され、ベトナム戦争には中立的であった。しかし、国王外遊中に親米派クーデターが起こり、ベトナム戦争にも介入。これに国王はサロット・サル率いるクメール・ルージュとともに親米政権との内戦を続け、政権を奪還。
しかし、クメール・ルージュが政権を掌握すると、サロット・サルは「ポル・ポト」と改名し、シハヌークを幽閉。苛烈な独裁と圧政の元に虐殺と飢餓で多数の国民が死亡する(統治体制が崩壊していたため正確な数は不明)。クメール・ルージュの前代未聞の恐怖政治の実態が世界に明らかになるのは、カンボジアのベトナム攻撃の報復としてベトナム軍がカンボジアに侵攻した後のことであった。粛清と飢餓で弱体化していたクメール・ルージュ政権はベトナムの反撃を前にあっけなく崩壊し、首都まで侵攻を許す結果となった。
ベトナムによる占領を経て1990年代以降、シハヌークによる王政に復帰。日本などの支援により内戦からの復興が進んでいる。2005年にシハヌークが病気療養のため退位(後2012年、長い闘病生活の末、89歳で崩御。)。皇太子のシハモニが、王位を継承した。
親日国
日本とは友好的な関係であり、首都プノンペンにカンボジア日本友好大橋と言う橋がある。
親日の要因としては、日本から無償・円借款含めて多額のODAが供出されている事や、国際連合カンボジア暫定統治機構の代表を務めた明石康が国内勢力の和平に尽力し、民主的な選挙のもとにカンボジア王国を再建した事があげられる。
また、中国等はODAの見返りを要求してくるのに対して日本は一切要求してこない為、逆に日本にお礼がしたいと言う気持ちが強く、親日感情につながっているとの報告もある。