アヴローラ
おーろら
ロシア帝国(のちソビエト連邦)の防護巡洋艦。現存する唯一の防護巡洋艦である。
概要
アヴローラ(Аврора)はロシア(ロシア帝国→ソ連→ロシア連邦)の防護巡洋艦。19世紀末に建造されて以来、数奇な運命をたどり、ロシアの近現代史の多くの事件にかかわり、現在もサンクトペテルブルクのネヴァ川の河岸で(水面に浮いた状態で)保存されている。現存するただ一隻の防護巡洋艦である。
ロシア帝国時代
サンクトペテルブルクの海軍造船所で建造され、1900年進水、1903年就役。バルチック艦隊に編入された。
1904年、日露戦争が勃発する。バルチック艦隊はリバウ軍港から日本近海へ向かう途中、北海のドッカーバンクでイギリスの漁船を日本の艦艇と間違えて砲撃してしまう(ドッカーバンク事件)。アヴローラ自身も友軍から誤射され、乗っていた正教司祭が死亡した。日本海海戦で連合艦隊と交戦。損傷を負い艦長が戦死。18発の敵弾が命中し、フィリピンの中立港マニラに逃れてそこで抑留された。
戦後はバルチック艦隊の練習艦となった。
第一次世界大戦時には巡洋艦として戦線に復帰するための改装が行われていた。1917年に勃発したロシア革命(十月革命)でアヴローラ乗組員はボリシェビキ側に同調した。ソ連政府の公式宣伝ではアヴローラは二月革命で成立した臨時政府のおかれている冬宮に向け号砲を撃ち、戦闘の火蓋を切った、とされていた。しかし現在では革命をよりドラマチックに脚色するための創作であるとする説もある。