概要
上越線の特急「とき」用として1962年に大阪の汽車製造本社および近畿車輛で計15両作られた。上越国境を越えられるようにした151系である。
1962年の信越本線長岡-新潟間の電化完成により、上越線経由の特急電車を運転する計画が立てられ。上越線の新前橋―長岡間で151系と157系を持ち込んで比較試験を行った。
151系の試験では、山岳区間でモーターが過熱してしまい、そのままでの導入は無理であると判断された。
一方、同じ主電動機を使いながら歯数比が異なる157系は想定されるMT比で問題なく運行できたため、151系の車体に157系と同型の主制御器(抑速ブレーキ使用のため)及び同じ歯数比の動力台車を取り付けた車両を製作した。
山岳区間の運用のため、編成中2両のグリーン車(当時1等車)も動力車として製作された。編成中付随車は、両先頭車と食堂車のみである。
また、新潟の雪にもある程度耐えられる(耐寒耐雪構造)ようにもしている。
歯数比が急行型同様の1:4.21のため、動力機器の許容最高速度は130km/hに下がった。
ただし153系・157系も代走の東海道線特急として走ったことがある上、国鉄時代の在来線特急電車の最高速度は120km/hにとどまったので、これで問題を生じたことはない。
片務的ながら先頭の制御車が151系へ共用可能であったため東海道線の事故等で車両が不足した際にはこれが召し上げられることが稀にあり、一方その際の161系側の代用先頭車として157系のMc+M'ユニット1組をつないだ。床面高さに結構な差があるものの、動力機器が同一であるため、電車としては「”一応”ではなく」まともに走れた。
161系として製造されたのはごく少数で、中間車は2編成分用意されたが先頭車が3両しかなく、事実上編成を組めるのは1編成だけに留まる。
1965年に出力を20%増しとした強力なモーター(113系・165系以降の標準形MT54)に取り替えて歯数比も151系のそれに揃えた181系40番台となったためこの形式としては消滅してしまった。
製造途中だった先頭クハ161-4号以降はそのまま181系への仕様変更がなされ、出場時にはクハ181-44~で登場している。
181系になってからも(主に)「とき」に使用され続け、1982年11月の上越新幹線開業でその役目を終えた。