概要
中央区の築地と月島の間の隅田川の河口近くに掛かる橋。晴海通り(都道304号線)が通る。
左右端がアーチ橋、中央部の左右が上に跳ね上がる可動橋であったが、1970年を最後に稼動しておらず、現在では降ろされたままである。
かつては中央に都電 勝鬨橋線(11系統 築地~月島)のレールが敷かれていた。
西岸の河口側には築地市場が存在したが廃止されている。
来歴
戦闘の勝利を祝う叫び声を意味する「勝鬨」の名前は、地名としては珍しいものだが、これは勝鬨橋が掛けられる前に運行されていた渡し船が日露戦争の旅順攻囲戦に勝利した直後に開業したことに由来し、戦勝を記念して『勝鬨の渡し』と名付けられていたためである。
勝鬨橋は、1933年(昭和8年)に着工し1940年(昭和15年)に開業した。
1940年に「皇紀2600年」を記念して月島地区で開催予定であった日本万国博覧会の為の主要交通路として計画されており、また同年中に開催予定であった東京オリンピックで多数の外国人旅行客が見込まれたこともあってか、荘厳な意匠で当時の技術力を結集した最先端の橋として建造されている。
開閉
1950年代までは橋自体の交通量が少なく、逆に隅田川沿いに多数の荷役場があったため1日に数回開閉していたものの、1960年代に入ると晴海通りの交通量が増加したため開閉回数は大きく減少し、船舶の通行のための開閉は1967年を最後に終了、最後に開閉が行われた1970年以降は開閉が行われなくなった。
1980年には、橋を開閉のための設備そのものへの電力供給が停止され、橋を下ろした位置でロックされている。(とはいえ2006年の調査では「(整備費用は掛かるものの)開閉は可能」と結果が出ているらしい)
創作作品
両端のアーチ橋や、開閉設備を収めた建屋のデザインが印象的であるためか、古今東西有名無名の作品に度々登場している。
特に古い年代の作品(或いは古い年代を描いた)では「開閉する」事がシナリオの中で重要な要素として用いられる傾向がある。
Pixivでも隅田川に掛かる橋としては投稿数が多い。
一方で、ゴジラ(1954年)や日本沈没(1973年)では遠慮なく破壊されている。
余談
- 築地側のたもとに、都が運営する「かちどき橋の資料館」がある。これは、かつて橋の変電所だった建物を改装したものである。
- 「勝鬨橋をあげる会」というファンクラブが存在し、広報活動や保全活動、可動部の復元に向けた取り組みを行っている。とはいえ整備には都の試算で10億円ほどかかるらしく…
- 中央部の可動橋の部分に残る合計4組の門型の鉄柱は、かつて敷かれていた都電の架線柱である。
- 2007年には国の重要文化財(建造物)に、2017年度には日本機械学会から機械遺産に認定された。
- 徳島市にも同じ読み方の橋が存在する。こちらの正式名称は「かちどき橋」である。