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波号潜水艦の編集履歴

2019-09-25 17:09:46 バージョン

波号潜水艦

はごうせんすいかん

波号潜水艦とは、大日本帝国海軍が運用していた潜水艦のカテゴリーの一つ。

概要

波号潜水艦とは大日本帝国海軍(以下日本海軍)が運用していた潜水艦の大分類における、基準排水量500トン未満の二等潜水艦のこと。

日本海軍は排水量別にランク分けし、排水量が大きい順に上からイロハでクラス分けした。

他、排水量1,000トン以上の潜水艦を伊号潜水艦、排水量500トン以上1,000トン未満の潜水艦は呂号潜水艦とされた。


アメリカ海軍や戦後の後継組織・海上自衛隊の潜水艦と違い、艦固有の名称は付与されず、ドイツ海軍の潜水艦同様番号で呼ばれている。



分類

波号潜水艦の代表的なものは、潜輸小型潜高小型であるが、経緯別に分類してみる。

ただし、波号読みではないホランド型・ホランド改型・第七十一号艦も紹介するが、排水量から見て波号クラスの潜水艦なので、一緒に掲載する。


輸入組 「ホランド型」「ホランド改型」「C1型」「C2型」「C3型」「S型」

 時は明治後期の日露戦争の頃、ロシアが潜水艦を所有しているという情報が入り、日本海軍は潜水艦を発注することになった。 この事が日本海軍初の潜水艦所有するきっかけとなった。

 日本海軍初の潜水艦として発注されたのは、当時各国で採用されていたアメリカ エレクトリック・ボート社のホランド級潜水艦で、日本では第一型潜水艦(ホランド型)として導入された(ただし、導入当時は潜水艦ではなく潜水挺としていた)。 続いてホランド級潜水艦の製造権を取得すると、第六型潜水艦(ホランド改型)を建造。 これが日本初の潜水艦建造となった。

 ホランド系列の後に輸入されたのは、イギリス ヴィッカース社製の波号一型潜水艦(C1型)で、ホランド級潜水艦を参考に発展した潜水艦で、ホランド型に比べ性能も良くなっていた。 その後、船殻のみを日本で作った波号三型潜水艦(C2型)とさらに強化した波号七型潜水艦(C3型)へと発展した。

 また、フランス シュネデール社製の波号九型潜水艦(S型)も輸入。 この型は、複殻式船殻を採用しており、以降の日本海軍の伊号潜水艦にも複殻式船殻が採用された。

 波号七型潜水艦(C3型)の波号第八潜水艦建造後、波号潜水艦はしばらく建造されなかった。


日本初設計潜水艦 「川崎型」

 波号潜水艦を輸入していた頃、波号一型潜水艦(C1型)、波号三型潜水艦(C2型)の比較研究のために 日本が初めて設計した潜水艦波号六型潜水艦(川崎型)であった。

 結果は、速力・航続力などで劣っていることが分かり、しばらくは、海外から輸入した潜水艦研究することとなった。


実験潜水艦 「仮称第七十一号艦」

 1938年竣工の仮称第七十一号艦は、離島防御用の潜水艦として試作された。

 海上公試では、当初搭載する予定だった主機が輸入できなかったため、性能が低い国産品で代用したため、予定していた速力を出せなかった。

 しかし、従来の諸外国の潜水艦の速力を基準としてみると、圧倒的に速く、決して悪い性能ではなかった。

 実験が何度も行われ、日本に水中高速航走に関する貴重な経験資料となり、設計は後に作られる伊号二百一型潜水艦(潜高大型)・波号二百一型潜水艦(潜高小型)の設計に生かされることとなった。


戦時急造組 「潜輸小型」「潜高小型」

 波号潜水艦が再び竣工したのは、波号第八潜水艦の竣工した1917年から25年以上たった第二次世界大戦終盤の1944年のことであった。

 先に竣工したのは波号百一型潜水艦(潜輸小型)であった。 武装は機銃のみで、近海での輸送任務・哨戒任務・蛟龍母艦に使用された。

 遅れて1945年波号二百一型潜水艦(潜高小型)が竣工。 上記の実験潜水艦でも述べた通り、仮称第七十一号艦の設計を生かして作られた、量産が効く小型な水中高速性能を重視した潜水艦であった。


関連タグ

大日本帝国海軍 潜水艦

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