概要
1930年代大日本帝国海軍では離島防御用潜水艦の建造を計画していた。既に昭和9年に特殊潜航艇甲標的の試作型を完成させており、これを踏み台に本格的な水中高速潜水艦を建造することとした。
特徴
潜水艦は水上ではディーゼル、水中では蓄電池を使用するのが主流である(これは21世紀現在の通常動力潜水艦の大部分も変わらず)。
そのため水中での速力を増すためには、電池の数を増やすか出力を上げるのが手っ取り早いが、潜水艦は狭い船体に信頼性はあるが大型のディーゼルエンジン、魚雷などの攻撃用兵装、ソナーなどの捜索用兵装などを詰め込んでおり、乗組員ですら「積み込んだ物資の隙間で生活する」とされている。そのため蓄電池も数を増やせず、当時の技術では出力も小さいことからこの時代の潜水艦の水中速力は国を問わず最大で8ノット前後であった。
そこで第七十一号艦には甲標的の試作型・A標的用に開発された「特B型蓄電池」を672個搭載し、水中排水量240tの船体で1800馬力の出力を発揮した。また生み出した出力をより効率よく活用するために九一式魚雷にも使用されている二重反転プロペラを採用した。
その結果水中速力21.3ノットという当時としては常識外れの速力を発揮した。これは当時最速がイギリス海軍のR級潜水艦で14ノット、第二次世界大戦中のドイツ海軍・XXI型潜水艦が17.5ノットであることからも当時としては画期的な速度であることがわかる。
艦暦
建造は昭和12年に呉海軍工廠で始まり、翌13年8月29日に進水し各種試験に使用された。
しかし国産ディーゼル機関の信頼性が低く(当初はドイツ製を輸入しようとしていた)、実用には適さないと判断されたため昭和16年夏に解体処分となった。
しかし第七十一号艦の建造は決して無駄にはならず、潜高型潜水艦や潜高小型潜水艦の建造に生かされることとなる。惜しむらくはそれらの竣工が敗戦の年である1945年まで待たねばならなかったということであろうか…。
関連タグ
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