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お笑いマンガ道場の編集履歴

2020-02-15 09:42:28 バージョン

お笑いマンガ道場

おわらいまんがどうじょう

お笑いマンガ道場は、1976年4月から1994年3月にかけて放送された中京テレビ制作のバラエティ番組。

概要

ひとつのテーマを元に、どれだけ面白いイラスト(1コマ漫画。ただし例外もあった)を描けるかを競う番組だった。


元々は東海三県ローカルの番組だったが、1977年7月から東京12チャンネルで放送を開始。以後東海三県や関東地方以外のテレビ局でも放送されるようになった。東京12チャンネルでの放送は1980年3月いっぱいで終了してしまったが、同年10月から日本テレビにて放送が「再開」され、最終回まで放送されている。


司会者

(4代目)桂米丸

初代司会者。ただし最初の1年間のみの担当であり、なおかつこの頃は東海三県ローカルだったため、「え、そんな人が司会してたの!?」と思われる人がほとんどなのではなかろうか。

柏村武昭

2代目司会者。1977年4月から最終回まで勤め上げた上に放送途中でネット局が増えた事もあり、この番組の司会者イコールこの人、と言うイメージが強いのではなかろうか。

元は中国放送(RCC)のアナウンサーで、退職後は1975年4月から半年間『オールナイトニッポン』火曜2部のパーソナリティを担当した経験を持つ。放送終了後に自由民主党所属の参議院議員として1期務めた。


回答者

富永一朗

『チンコロ姐ちゃん』等で知られる漫画家。初回から最終回まで出演していた。フリップの表裏を使って2コマ(ごく稀に3コマ)漫画を描いたりおっぱいネタをやらかしたりしたが、やはり鈴木義司を(主に)「土管の中で暮らす人」といじり倒すネタ(むろん鈴木は「僕そんな生活してないよ」とばかりに苦笑い)が有名。

車だん吉

こちらも初回から最終回まで参加したが、腰痛療養のため出演を見送っていた時期がある。女性レギュラーと番組最後のおまけコーナーも担当していた。女性レギュラーいじりや「俺って結構色男なんだぜ」ネタで共演者を呆れさせ、女性アシスタントの顔の特徴をいじり倒した(今ならセクハラと取られてもおかしくない)ネタをやらかしては当然ながら女性アシスタントの怒りを買って「悪かったな!」とばかりによりによってその特徴をデフォルメしたハンマーで1発どつかれたりしていた。ただし、『週刊漫画サンデー』(実業之日本社)に連載を持っていた時期があったほど漫画を描くのは上手い。

鈴木義司

『サンワリ君』等で知られる漫画家。初回からは参加してはいないが、最終回まで長らくレギュラーを務めた。富永のいじり倒しに対し、自身をお金持ちに描く見栄っ張りネタを描いた。さらに富永を「富永さんはスケベでデブな貧乏人なんです」や「お化けナマコ」等といじっては富永に「俺そんなにひどくねぇよ」とばかりにムッとされるのもお約束であった。番組内では蝶ネクタイをトレードマークにしていた。

女性レギュラー

エバ(元ゴールデン・ハーフ、番組初回~1981年3月)→秋ひとみ(1981年4月~1982年9月)→川島なお美(1982年10月~1989年9月)→森山祐子(現・森山ゆうこ、1989年10月~最終回)の4人が務めた。

よく言えば優等生的、悪く言えば当たり障りのないネタで柏村や視聴者を和ませた。ただし、川島は共演者(主に車)をネタの中でいじる事がしばしばあったし、森山は破壊的・破滅的・絶望的な歌唱力を披露して共演者や視聴者を脱力させてしまった。


マスコットキャラクター

マガドン

番組の初代マスコットだったピンク色のUFO。彼がマスコットだった頃の柏村はマガドンのイラスト(例題の漫画を手掛けていたかすやたかひろによる物)が入った青いブレザーを着用していた。

りゅうのすけ

リクエストイラスト~お笑いマンガ道場 りゅうのすけ~

1980年代後半から登場した2代目マスコットであるワニの男の子。彼の着ぐるみも番組中に登場し、アシスタント的な役割を担当していた。


外部リンク


関連タグ

中京テレビ テレビ番組

三谷幸喜 -一時期この番組に構成作家として参加していた。

すごいよ!!マサルさん -この番組にちなんだネタが作中によく登場していた。

おっさんホイホイ

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