概要
尾張の守護所、交通の要所であった。
織田信長の拠点としても有名で、桶狭間の戦いでも清洲城から出陣した。
信長の死後、清洲会議が開かれたことでも知られる。
立地上の問題として、付近の川が氾濫すると、城内は水浸しになっていた。
地震も二回ほど起こっており、改築の原因とも言われている。
後に徳川家康により、清洲越しと呼ばれる城下町の移動が行われ、清洲城も名古屋城築城の資材にも使われた。
名古屋城及び城下町の完成に伴い、廃城となるが、現在も名古屋城にある清洲櫓がその名残となっている。
現在の天守は1989年に再建されたものである。