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概要

愛知県犬山市にあった城。建てられた年代については諸説あるが江戸時代以前に造られた天守が現存しており国宝に指定されている。

中国の長江流域に築かれた白帝城(を詠った李白の詩)から、同じく木曽川を背に築かれたことから別名「白帝城」とも呼ばれる。


歴史

応仁の乱の最中である文明元年(1469年)に岩倉織田氏によって築かれたのが始まりとされ、後に清洲織田家によって本格的な城として建造される。

その後池田氏や織田勝長が城主となる。

小牧・長久手の戦いでは最重要拠点として争いが繰り広げられた。

豊臣時代に現在の形の城郭として改修される。

関ヶ原の戦いの際には西軍の拠点となり、石川氏が籠城するも家臣が次々と裏切り最終的には石川氏も城を捨てた。


江戸時代には尾張藩の付家老が代々入城することとなる。

平岩氏の後、成瀬氏が9代に渡って城主を務めた。

尚、江戸時代の犬山城主には「尾張徳川家」を密かに監視するという目的があったとされる。


日本最古の現存天守、ともされているが諸説ありよく分かっていない。

昭和に行われた解体修理の結果によると、天守の下二階部分が最古であり最上階は江戸時代に増築されたものであるとされ、さらに下二階部分だけだったころは「天守」では無かったと考えられる。


しかし、2019年に行われた調査の結果、天守の主な建築材は1585年からの3年間に伐採されたものと判明し当初から1階から4階まで現在のような姿で建築されたものとみられると発表された。



多くの城が自治体などによって史跡として管理されているが、ここ犬山城は成瀬氏代々が個人所有し、近年相続や維持の経費から財団法人所有となったものの、財団の長に成瀬氏当主がつくことで引き続き事実上の保有を続けている。

国を跨ぐ規模で(国家制度として廃止されてなお)貴族が存在し城の公開などで日銭を稼いだり実際に住む人が多い中、日本では非常に珍しい事例だと言える。


2006年に日本100名城に認定されている。

2017年には落雷により鯱の片方を破損する被害を受けたが翌年には復旧された。


関連項目

天守

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