概要
カリフ(calif)アラブ語、ハリーファ(Khalifa)スンニ派ではイマーム(Imam)とも
イスラム教の首位権を持つ。『(預言者ムハンマドの)後継者、代理人』の意味。イスラム法学者たちの定めた教義を信徒に護らせる仕事であり、宗教的政治的な指導者であった。
【歴史】
【正統カリフ時代】
1500年前、(2015年から大体数えて)アラビア半島をローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配を絶ち、イスラエルの神を信仰する新たな宗教イスラム教と、それを実践するイスラム軍により平定し統治者として君臨した開祖ムハンマドの没後、いとこにあたるアブー・バクルがイスラム教と『ムハンマド王国』の教義国家の執政者となったとき自らを『後継者(カリフ)』と名乗ったことに始まる。
以後、カリフはクライシュ族の有力な男性が継承したが、4代カリフ、『アリー』が権力闘争によりムワーウィア・ウマイヤ(ウマイア国初代シュ)の一派に殺害された。この後、イスラム教徒(ムスリム)に中に、4代アリーを神聖視し、ウマイヤが築いた権力とその後のイスラム教国を邪道視し、自身らが正統なイスラム教徒とする傾向を示した『シーア派(アリー党)(※3)』が誕生する。
【歴代カリフ・イスラム国の時代】
アリーを殺害したムワウィーアー・ウマイヤの一党が国家樹立をする(ウマイヤ朝)、その時ウワーウィーアーは自身の君主号として、全イスラム世界の統治者の後継としてカリフを用いる。
【絶頂期と凋落】
カリフの権威が絶頂となったのはメソポタミア(イラク)地域にペルシア人やシーア派の協力を得てウマイヤ朝を滅ぼしたアッバース朝(750-1258.都バグダッド)の時代であった。中央アジアから北アフリカにまで領土と信徒社会が広がる。イスラム美術・文化も征服したビザンツ帝国領エジプトやシリア、ペルシャ帝国などの異文化がイスラム教的に解釈しなおされて繁栄した。当時のヨーロッパよりも進んだ科学文明国でもあり、後ヨーロッパに科学技術・哲学などが輸入された。
後にアッバース朝が長い歴史の中で衰退していくうちに、政治的帝王(スルタン・マリク・シャー)などが最高の権力者とされ、カリフはイスラム教世界(ウンマー)と信徒民(ムスリム)の象徴とされるようになった。アッバース朝カリフは1258年モンゴル帝国に首都民衆もろとも皆殺しにされて滅亡する。わずかな一族の生き残りはエジプトのマルムーク朝にカリフとして推戴されていたが、1517年に侵攻してきたオスマン帝国によって廃位された。
他にカリフを名乗った諸勢力もすでに滅びており、カリフが空位の時代が続くが、既にアッバース朝の衰退の頃から、イスラム教団はカリフなしで作動するように変わっていた。後に19世紀になってから、実はオスマン帝国のスルタンはアッバース朝からカリフ位を譲られていたという伝説が生じる。既に衰退していたオスマン帝国を復興させるため、スルタンたちは自らカリフを名乗るようになった。
【消滅】
1922年にオスマン帝国がトルコ革命(1923年)によって解体すると、スルタン兼カリフも同時退位した。旧統治領だったイスラム地域の首長がカリフを名乗ることがあったが、一時的なものだった。9割支流派のスンニ派の認識では【カリフは終わった】という認識が浸透していたので、支持を得ることができずカリフのタイトルは消滅した。
職掌的には『キリストの代理人』とされるローマ教皇(Pope)に匹敵する位をもちながら、ついに『バチカン市国』的な形でカリフ位を残すことができなかった。
【天地がひっくり返った事】
1923年にオスマン帝国本国地域に建国した新国家『トルコ共和国』は、徹底した政教分離体制を構築し完成させた。カリフはイスラム成立時から1200年以上続いた歴史ある地位であり、その存在が否定されたことはイスラム世界に大きな衝撃を与えた。
トルコの政教分離国家に始まって、時代に合わせざるえなくなったイスラム圏諸国で、近代国家的な再編成が行われて、現在に至る。しかし、政治的には『君主制(スルタン君主)』や政党政治を行っても『イスラム社会党独裁』や『カダフィー的暴君による教義独裁』などが多く、民主主義的なのは現在でもトルコのみである。(トルコも問題は多い。)
現在まで『カリフ復活運動』は一部の超保守派や過激派のみでしか主張されていない。というか、もしもカリフ制が復活されようものならイスラム教国で権力を振るう国王や政治家、軍人、氏族長、企業家、法学者の存在意義が一気に揺らいでしまうのでできない。特に、クライシュ族でもカリフでもないくせに二大聖地を抱えるサウジアラビアは困るに決まっているので、現時点ではテロリストが名乗ろうと、有望な政治家が名乗ろうとカリフ制の復活は極めて難しい。
イラストなど
関連
イスラム国・・・2014年に中東において一方的に国家宣言した、イスラム原理暴力集団。『カリフ制イスラム原理主義国家』のを標榜する。テロリストの親玉は『カリフ』を名乗った。客観的にいうと『カリフ』はテロリスト風情が名乗っていい位ではない。
【参考文献】
『wikipedia』
『ブルジュ・ハリファ』(ハリファのスペル)
『研究社 マイペディア辞典』
『広辞苑』