概要
魏のかつての大将軍であり、秦の六将軍、趙の三大天と並ぶ、魏火龍七師の一人。
王騎や摎も一目置くほどの冷酷無慈悲な軍略家で知られ、現在の魏国大将軍である呉鳳明の師匠でもある。凱孟や紫伯とは異なり、当人は武力は弱い代わりに乱美迫という屈強な腹心を持ち、彼を強力な横槍として使う戦術が得意。中性的な外見と飄々としている物言いが特徴。
病死したと言われていたが、同僚である凱孟、紫伯と共に秦と魏の著雍防衛戦に突如として現れ、周辺の城をそれぞれがわずか一日で陥落させて呉鳳明と合流する。『戦は武将の殺り合い』と捉えており、秦軍総大将であり顔見知りでもある騰を直接狙うべく動く。
かつて、紫伯と太呂慈の対立を切っ掛けとする火龍同士での殺し合いに紫伯側として参加。結果として、火龍三人が死亡するという大惨事となり、これに激怒した当時の魏王に処刑されかける。
しかし、唯一内紛に参加しなかった呉慶のとりなしにより、公的には死亡したことにされ、投獄される。以後14年間牢獄の中にいたが、その間に王が代わったことと、呉鳳明の働きかけによって解放される。
投獄生活が長かったことにより、魏火龍の名は六将軍、三大天に比べると広まっておらず、信達若い世代には知られていなかった。
また、廉頗や王騎と同世代のはずだが、14年間も牢屋暮らしをしていたとは思えないほど若々しい外見をしている。大将軍としての実力は健在な一方、弟子の呉鳳明には『14年前で実力が止まっている』とも見なされていた。