CV:田村真
概要
かつて中華を荒らした豪傑“魏火龍七師”の1人。
知と武勇を併せ持ち「魏国最強の槍の使い手」と言われ、中華に知れ渡るほどの槍の名手。
本名は紫詠(しえい)であり、紫伯は子供が出来なかった義父から引き継いだ名前である。幼い頃に実母が妾として囲われたが、流行り病で母を亡くし、その後は義父によって若い頃から死地に送り込まれ続けることとなった。我流で鍛え上げられた槍は敵を一撃で殺すことのみに特化している。
同じく実母を幼い頃に亡くした義妹の紫季歌とは成長するに連れて愛し合うようになり、結婚の約束までしていた。しかし、それをよく思わない義父によって紫季歌は同じ魏火龍七師の太呂慈に嫁入りさせられてしまう。太呂慈は多くの妻を娶ったが、全て斬殺しており「妻殺し」と言われていた。自分のみを今後愛するように迫った太呂慈を拒否したことで紫季歌は斬殺されてしまい、怒り狂った紫伯によって魏火龍同士の同士討ちが発生する。
紫伯からの復讐を警戒した太呂慈は魏火龍七師の晶仙と馬統を味方に引き入れて迎え討つも、紫伯によって3人ともあっさりと殺されてしまう。この内乱の際に紫伯に味方した霊凰と凱孟と共に、当時の魏国の王によって14年もの間、投獄された。唯一中立だった呉慶を除いた魏火龍七師が6人もほぼ同時に消えたことで、六将や三大天ほど名前が広まらなかったと言われている。
秦朝の台頭を防ぐために、呉鳳明の働きかけによって出獄し、著雍の戦いに参戦する。同じ槍の名手である王賁と対峙した。自信家である王賁をして、速さも重さも自分以上だと言わしめる技量で圧倒し、王賁に重傷を負わせた。しかし翌日、王賁が何度も紫伯の槍を受け続けたことで、見切ることに成功し、心臓を貫かれて死亡した。
紫季歌