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二条斉敬の編集履歴

2020-11-26 07:49:06 バージョン

二条斉敬

にじょうなりゆき

二条斉敬とは江戸時代末期から明治時代の公卿。

概要

二条斉信の男子、官位は従一位、摂政関白左大臣。名前の斉は11代将軍徳川家斉が由来。


プロフィール

時代江戸時代末期-明治時代
生誕文化13年9月12日(1816年11月1日
死没明治11年(1878年)12月5日
官位従一位、摂政関白左大臣
主君仁孝天皇孝明天皇明治天皇
氏族二条家
父母父:二条斉信、母:徳川従子
恒子女王伏見宮邦家親王の王女)
正麿隆英、利敬、養子:基弘

経歴

文化13年(1816年)に誕生、文政8年(1825年)に従三位となり公卿となる。天保2年(1831年)に権大納言となる。安政5年(1858年)の日米修好通商条約の調印に反対。14代将軍徳川家茂の将軍宣下伝達のため江戸に向かい大老井伊直弼との面会を求めるが拒否され同年の安政の大獄で謹慎処分となる。文久2年(1862年)に右大臣に就任。以降は公武合体派の一人となり文久3年(1863年)に妻の兄の中川宮と共に八月十八日の政変で尊王攘夷派の公家と長州藩を排除した。政変後は関白左大臣に就任、慶応3年(1867年)に明治天皇即位と共に摂政に就任したが同年の王政復古の大号令によって参朝停止となる。明治元年(1868年)に停止を解かれ明治2年(1869年)麝香間祗候となる。明治4年(1871年)に隠居。明治11年(1878年)に死去。


外部リンク

二条斉敬 - Wikipedia


関連タグ

朝廷 公卿 二条家 摂政 関白

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