二条斉敬
0
にじょうなりゆき
二条斉敬とは江戸時代末期から明治時代の公卿。
文化13年(1816年)に誕生、文政8年(1825年)に従三位となり公卿となる。天保2年(1831年)に権大納言となる。安政5年(1858年)の日米修好通商条約の調印に反対。14代将軍徳川家茂の将軍宣下伝達のため江戸に向かい大老井伊直弼との面会を求めるが拒否され同年の安政の大獄で謹慎処分となる。文久2年(1862年)に右大臣に就任。以降は公武合体派の一人となり文久3年(1863年)に妻の兄の中川宮と共に八月十八日の政変で尊王攘夷派の公家と長州藩を排除した。政変後は関白・左大臣に就任、慶応3年(1867年)に明治天皇即位と共に摂政に就任したが同年の王政復古の大号令によって参朝停止となる。明治元年(1868年)に停止を解かれ明治2年(1869年)麝香間祗候となる。明治4年(1871年)に隠居。明治11年(1878年)に死去。
関連記事
親記事
兄弟記事
コメント
コメントが未記入です