概要
二条康道の男子、母は貞子内親王(後陽成天皇の皇女)、官位は従一位、摂政、左大臣。徳川家光から偏諱を受けた。
プロフィール
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永元年12月13日(1625年1月21日) |
死没 | 天和2年11月12日(1682年12月10日) |
官位 | 従一位、摂政、関白、左大臣 |
主君 | 明正天皇→後光明天皇→後西天皇 |
氏族 | 二条家 |
父母 | 父:二条康道、母:貞子内親王 |
妻 | 賀子内親王(後水尾天皇の皇女) |
子 | 徳川綱重室、養子:綱平 |
経歴
寛永11年(1634年)に正五位下、寛永12年(1635年)に従三位、権中納言に就任し寛永14年(1637年)に権大納言。寛永19年(1642年)から正保4年(1647年)に内大臣に就任した後右大臣に就任し慶安5年(1652年)に左大臣となった。翌年の承応2年(1653年)から寛文3年(1663年)に関白。明暦3年(1657年)に従一位。寛文3年(1663年)に摂政となり寛文4年(1664年)に辞任。