概要
決戦だけでも意味は充分通るが、ここに『最終』と付けることで、その戦いの重要性・終焉の予感をより匂わせるニュアンスとして用いられる。
特に、持てる全ての力を尽くして戦われるような激しい戦い、簡潔に言ってしまえばラスボス戦のような物語の一つの終焉を飾るような戦いに対して適用されることが多い。
次はないため、装備なども手抜きの一切ないものが用いられることが多い。(戦い抜いてボロボロになった状態で挑むことも無くはないが。)
由来については不明。
その言葉のインパクトから、メディアではバラエティ・創作を問わずよく使用される言葉でもある。
近代以前の戦争では、例えば日本では壇ノ浦の戦い、関ヶ原の戦い、大阪の陣、戊辰戦争など、決戦で区切りがつく事が多く、文学・芸術作品などの題材に多くされてきた。
現実の近代戦争の場合、かつてのようにきっぱり決着がつく事は少なく、劣勢な側が短期間で一気に踏みつぶされるか、敗色が濃くなっても「末期戦」の言葉に代表されるようにガタガタになっても踏みつぶされるまで戦い続けるか、ベトナム戦争のように泥沼の不正規ゲリラ戦の末に戦場以外で決着がついてしまうなど、(反戦論者のいう「悲惨な戦争」とは、後者2つのように延々だらだらと続けられ民間人の犠牲者が多発するものを指す政治的なバイアスの多い用語。)作劇と違ってきれいに終わることのほうがまれである。