概要
「摩周丸」と名乗った国鉄の船舶は2隻存在する。いずれも青函連絡船の船舶であった。
初代
1948年に浦賀ドック(神奈川県、住友重機械工業に吸収合併されそこの浦賀造船所となったあと2003年廃止)にて完成・就航。
函館空襲・青森空襲でほぼ「終わってしまった」青函連絡船の「完全復活」のために建造された洞爺丸級船舶のひとつ。
1964年10月まで活躍した。
二代目
1965年に三菱重工神戸造船所(兵庫県神戸市)にて完成・就航。
船体の下部が濃い青に塗られていた。
客を乗せたままナハネフ10(→オハネフ12)やオハネ17(→スハネ16)を載せるためのスペースや、そこに通じる階段や通路を設けたが、これは1940年代後半から1960年代前半にかけて実施していた、客を乗せたままの客車を連絡船に載せて運行するサービスの復活を意図したものであった。だが、洞爺丸台風(と紫雲丸事件)のことがトラウマとなっていた運輸省(現在の国土交通省)が首を縦に振らなかったため、結局寝台車航送は実現しなかった。
ただし、自然災害などで鉄道が不通になった際の代行輸送で、この設備は生かされた。
1988年3月の、青函トンネル開業に伴う青函連絡船廃止まで運行を続けた。
現在は函館市内にて(函館湾に浮かぶ)博物館として活用されている。