概要
歴史上の人物としてのギルガメシュ
古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代のウルク第1王朝(BC2600年頃)の王。
最古の英雄譚といわれる「ギルガメシュ叙事詩」の主人公として有名。
ギルガメシュはアッカド語名であり、シュメール語での名前はビルガメシュ、意味は「祖先は英雄」「老人を若者に」で、祖先崇拝を象徴するとされる。
シュメール王名表によれば彼は風魔リルの息子とされ、都市国家ウルクの王として126年間在位した。
ただし、後の文書ではルガルバンダの息子とされ、その大きな業績としてウルクの城壁の建設が語られることが多い。
母親は、リマト・ニンスンとどのテキストでも記されている。
どんな人物?
どこぞの金ぴかとは違いよく泣くそしてよく笑う。全書板中八板ほどには泣いているシーンがある。
彼は、かなりのパワーファイターでフンババ退治の際は15kgもある黄金の短剣や90kgもある斧、さらに巨大な弓195kgの武装で身を固め、天の牡牛退治では弓(多分前述の)と211.5kgの剣、210kgの斧を扱ったと記されている。
実在した人物か否か
彼の名は、ファラ(古代名シュルッパク)で発掘された神名表(BC2450年頃)において、冥界の神として記されたものが初出。
ウル第3王朝期(BC2112~BC2004)には神格化された王として供儀を受けた記録があり、この頃よりルガルバンダとニンスンの息子とされるようになる。
また、BC2000年頃のイシン市で書かれたトゥンマル(*1)文書中で、エンメバラゲシ(*2)がニップルにエンリルの神殿を建てた事と、それの2度目の破壊の際、ギルガメシュがそれを再建した事が書かれている。
これらの記述及び、ギルガメシュと同時代とされ、幾つかの文書中に共に現れるエンメバラゲシの実在が確認されていることから、ギルガメシュもまた実在し、死後すぐに神格化されたとする説が有力(*3)。
しかし、まだ彼自身の発行した行政文書等の実在を直接証明する証拠は見つかっていない。
*1) ニップル市の1区域名、エンリルの妻ニンニルの神殿があった。
*2) キシュ市の王でギルガメシュとアッガに登場するアッガの父、エン(主の意味)・メバラシが変化した名前とされる。
*3) 実在の根拠とされるファラ文書やトゥンマル文書の作成年代への疑念などから、ギルガメシュは神格化された王ではなく元々冥界神であり、実在する人物ではないとする説も存在する(参考文献6)、メソポタミアにおける王の神格化については後述。
ギルガメシュ叙事詩
今日最も知られているアッカド語文学であり、シュメールのビルガメシュ伝承を元に編纂されている。
BC1800年頃に古バビロニア版、その後も幾度かの改変を経たのち、BC1200年頃に標準版が成立し、様々な言語にも翻訳されてセレウコス朝時代まで広く受け継がれた。
標準版はシン・レキ・ウンニンニという人物が作者、もしくは編者であるとされ、全体で3600行程度あったと推測されているが、欠損も多く現存するのは半分弱の1500行ほど。
現在において「ギルガメシュ叙事詩」という場合は、基本的にこの標準版のことを指す。
標準版は成立後、大きな改変を受けることがなかったと思われるが、唯一の例外として新アッシリア時代(BC1000~BC609年頃)に、ビルガメシュ伝承「ビルガメシュ、エンキドゥ、冥界」の後半部分が第12の書板として追加されている。
第12書板の内容はそれ以前のものとの繋がりはなく、冥界における死者の生活や待遇を説明するものになっている。
叙事詩発見の経緯
1872年、イギリスの研究者G.スミスが、ニネヴェのアッシュルバニパル王の図書館より発掘され、大英博物館に収められていた2万点を超える粘土版文書の中より、旧約聖書の洪水伝説(ノアの方舟)に酷似した物語(叙事詩第11書板)を発見。
その4年後に「カルデア(*)の創世記伝承」として発表し、ヨーロッパに大騒動を引き起こした。
その後、デイリー・テレグラフ紙の資金援助を受け、スミス自身が現地で発掘を行い、続く叙事詩の粘土板の発掘に成功。
他にも大英博物館の所蔵文書の中からも、叙事詩の断片が続々と発見され、1875年には第6、第11書板がローリンソンの「西アジアの楔形文字碑文集」に、1884~91年にかけて、P.ハウプトが第1~第11書板を「バビロニアのニムロド叙事詩」、後に第12書板を「アッシリア学・セム語論考」に収録し、現在残っている叙事詩の基本的なテキストが揃った。
*) 旧約聖書における、アッシリア・バビロニアの総称
叙事詩新規部分の発見
2011年、スレイマニア博物館が密輸業者より買い取った粘土板文書の中より、第5書板の一部に該当する新文書が見つかった。
ロンドン大学、SOAS(School of Oriental and African Studies)のF.N.H.Al-Rawi氏、A.R.George氏によって翻訳され、論文(Back to the Ceder Forest: The beginning and end of Tablet Ⅴ of the Standard Babylonian Epic of Gilgameš)として公開されている。
内容は杉の森に到着した2人の前に広がる森の威容や、エンキドゥがギルガメシュに出会う以前、杉の森で過ごしていた時期があること等が描かれている。
あらすじ
第1書板
ウルクの王ギルガメシュは、ウルク王ルガルバンダと女神リマト・ニンスンの間に生まれ、3分の2が神で3分の1が人間だった。(*1)
ギルガメシュは暴君だったため、それに苦しんだウルクの人々の祈願を聞き入れたアヌ神は、アルル女神(*2)に命じてその競争相手として粘土からエンキドゥを造らせた。
しかし生まれたばかりのエンキドゥは知性を持たず、全身を毛に覆われた毛むくじゃらの姿で動物たちとともに行動するなど野獣そのものであった。
エンキドゥは狩人(*3)の仕事を妨害したため、彼に怯え、悩んだ狩人はそれを父に訴えたところ、父はウルクのギルガメシュにこの事を報せるよう息子に言った。
報告を聞いたギルガメシュが狩人とともに、神殿娼婦のシャムハト(*4)を遣わせたところ、エンキドゥは彼女の魅力に囚われ、その誘惑に乗って七日六晩の間交わった結果、毛むくじゃらだった身体中の毛が抜け落ち、力が弱くなったが知性を身につける。
*1) 1/3が人間、2/3が神という描写は元となったシュメールの伝承にはない。
*2) ヒッタイト語版ではハンナ・ハンナ女神。
*3) ヒッタイト語版ではシャンガシュという名。
*4) 女性神官のグループのうちの一つの名称。ここでは個人名として使われている。
第2書板
不思議な夢を見たギルガメシュは、母であるニンスン女神にそれについて尋ねたところ、女神は息子に、おまえに対抗する者が野に生まれ、やがてウルクにやってくると告げる。
その頃、シャムハトに導かれたエンキドゥは、都市での作法等を彼女から教わり野人から文明人へと変化を遂げ、ギルガメシュの対抗者としての使命を果たすためにウルクに向かっていた。
ウルクに現れたエンキドゥは、市民の結婚式に現れ、新婦に夫よりも先に手を出そうとしていたギルガメシュに青褪めながら怒り、それを阻止し、両者は戦うが決着がつかず、やがて力を認め合った二人は友人となった(*)。
*) 友情を結んだとことを確認できる描写は標準版では欠落しており、古バビロニア版に残っている。
第3~第5書板
ギルガメシュは、後世に残る名声を打ち立てるため、杉の森に住む守護者フンババを倒し、杉を得ることを考える。
フンババの恐ろしさを知るエンキドゥはこれに反対するが、ギルガメシュは彼を説得して遠征に出発、シャマシュ神の助力を得て遂にフンババを捕らえることに成功する。
捕らえられ、命乞いをするフンババをギルガメシュは見逃そうとするが、エンキドゥがそれに反対し、短剣でフンババの首を切り落として殺害。
その後2人は杉で門を作ってニップルのエンリル神殿に奉納し、フンババの首を持ち帰った。
第6書板
帰還し、盛装したギルガメシュに惚れ込んだ女神イシュタルは彼に求婚したが、ギルガメシュはかつて求婚を受けた男性たちが彼女により与えられた破滅の末路をあげつらった挙句、完全に彼女を拒絶した。
怒った女神は父であるアヌに彼が私をなじったと訴え、復讐のために天の牡牛を要求。
アヌ神は彼女が彼を挑発したから、彼もお前の愚行をなじったのだと諭すも彼女は聞き入れず、逆にアヌを恫喝、アヌはイシュタルの怒りの大きさに、天の牡牛を造りその手綱をイシュタルに渡してしまう。
イシュタルによりウルクに送り込まれた牡牛は大暴れし、街を破壊し多数のウルク市民を殺してまわった。
見かねたギルガメシュとエンキドゥは協力して天の牡牛を倒し、その心臓をシャマシュに奉納。
天の牡牛を倒され、ウルク城壁の上で呪詛の叫びをあげるイシュタルの顔に向け、エンキドゥは牡牛の腿を投げつけた上で罵倒した。
そしてその晩、エンキドゥは神々の会議の夢を見る。
第7書板
神々は2人がフンババと天の牡牛を殺した廉で神々の会議を開催、シャマシュ神の弁護も虚しくエンリル神によりエンキドゥの死が定められる。(*)
これによりエンキドゥは病に倒れ、ギルガメシュに看取られながら死んでいった。
*) 神々の会議のシーンは標準版では欠損、ヒッタイト語版に描写がある。
第8~第10書板
ギルガメシュは大いに悲しむが(*)、自分と同等の力を持つエンキドゥすら死んだことから、自分もまた死すべき存在であることを悟り、死の恐怖に怯えるようになる。
そこでギルガメシュは昔、エンリルの起こした大洪水を方舟に乗ることで生き延び、そして永遠の命を得たウトナピシュティムに会い、永生の秘密を聞き出すために旅に出ることを決意。
荒野を、マーシュの山の暗闇を、死の水をも超えて、遂にウトナピシュティムに会うことに成功する。
*) 第8書板の後半は欠損が激しいが、エンキドゥの葬儀のシーンが断片的に残っている。
第11書板
ウトナピシュティムによる大洪水に関する説話ののち、生命の秘密を教えるための試練を課されるがこれに失敗、ウルクへの帰路につく。
しかし、出立の際にギルガメシュの労苦を哀れんだウトナピシュティムの妻の助言により、ウトナピシュティムから若返りの草(*)のありかを教えられ、それを手に入れることに成功。
だが、ウルクへの帰路の途中、水浴びの際の隙をつかれ若返りの草を蛇に食べられてしまう、これにより蛇は脱皮で若返りを繰り返すことによる永遠の命を得た。
若返りの草を失ったギルガメシュは失意のままウルクに戻った。
*) アッカド語名:シーブ・イッサヒル・アメル、シュメール語名:ビルガメシュ、老人を若者にの意。
第12書板
お気に入りのプックとメック(*1)を冥界につながる穴に落としてしまい嘆くギルガメシュのため、それを取り戻すべくエンキドゥが冥界に下る。
しかし、冥界でのふるまいに関するギルガメシュの忠告に従わなかったため、冥界にとらわれて戻れなくなってしまう。
エンキドゥを助けるべく、ギルガメシュはまずエンリル、次にシンの神殿に赴いて訴えるが、2神は彼の願いを聞き届けることはなかった。
最後にエアに訴えたところ、エアはネルガルに命じて冥界に穴を開けさせた。
その穴からエンキドゥの霊が地上に帰還、2人は再会を果たす。
戻ったエンキドゥの霊に、ギルガメシュは冥界での死者達の様子を尋ねる。(*2)
*1) 楽器とも、娯楽用の棒と球ともいわれる。
*2) その内容は、供養を多く受ける者ほど、冥界での生活が快適になるというもの。
付記
メソポタミアにおける王の神格化について
文書において確認できる中で、最初に神格化されたのはアッカド王朝第4代王ナラム・シン(在位BC2254~BC2218年)である。
王の神格化は続くウル第3王朝(BC2112~BC2004年)でも行われたが、メソポタミアの人々の目には神への不敬と映ったのか、後の伝承:アガデの呪いにおいて、ナラム・シンは、その不遜によりエンリル神の怒りを買い、王朝を滅亡に導いた王として描かれており、神格化自体もウル第3王朝滅亡以降は行われていない。
人間は神々に仕えるために生み出された奉仕種族であり、神々を正しく祀り、その生活を維持するのが役目とされていた。メソポタミアにおける神格化はエジプトのファラオ等とは異なり、大神達と並ぶということはなく、あくまでも人間社会と神の間を取り持つ下位の神とされるにすぎない。
アガデの呪いの内容とは異なり、実際にはナラム・シンの時代にアッカド王朝が崩壊したという事実はない。
衰退が始まるのは次代のシャル・カリ・シャリ(在位BC2217~BC2193)以降で、滅亡するのは11代シュ・トゥルル(在位BC2168~BC2154)の治世である(*)。
また、クタ伝説のようにナラム・シンを英雄として描く作品も存在する。
*) この頃にはアッカド市周辺を支配するだけの小国家になっている。
ギルガメシュの墓発見の可能性
2003年にドイツの発掘隊により、ウルク近郊の古代のユーフラテス川床跡より、ビルガメシュ伝承の一つ、「ビルガメシュの死」の描写に似た、ギルガメシュの墓の可能性のある遺跡が発見されているが、現地の混乱の為かその後の情報はない。
外部リンク'Gilgamesh tomb believed found'
参考文献
1:「筑摩世界文学体系1 古代オリエント集」 三笠宮崇仁、杉勇編 筑摩書房
2:「古代オリエント事典」 日本オリエント学会編 岩波書店
3:「ギルガメシュ叙事詩」 月本昭男著 岩波書店
4:「シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン」 小林登志子著 中公新書
5:「Gods Demons and Symbols of Ancient Mesopotamia」 University of Texas Press
6:「ウル第3王朝の王シュルギと英雄ギルガメシュ」 前田徹著
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