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諏訪頼継の編集履歴

2022/01/29 14:38:49 版

編集者:ふーたん

編集内容:高遠頼継について追記

諏訪頼継

すわよりつぐ

南北朝時代、北条時行に仕えた武将と戦国時代、高遠頼継の名で知られる諏訪一族の武将がいるがここでは前者について述べる。
  1. 南北朝時代、北条時行に仕えた武将。
  2. 戦国時代、武田信玄に与し当時の諏訪惣領家の当主・諏訪頼重(刑部大輔)に叛いた高遠諏訪家の当主。のち信玄と仲違いし滅ぼされ四男・勝頼が高遠諏訪家を継いだ(異説あり)。

ここでは1について述べる。

史実

嘉暦3年(1328年)に生まれたとも、元徳元年(1329年)に生まれたとも伝わる。没年は不詳。

諏訪大社上社大祝。

中先代の乱(建武2年(1335年))で祖父・頼重(照雲入道)、父・時継が敗死したことにより、7歳で諏訪大社を追われ、神領であった神野(こうや:諏訪郡原山)に身を潜めたという。

『守矢文書』では、興国元年/暦応3年(1340年)6月24日、数え12歳で北条時行とともに挙兵、信濃国守護・小笠原貞宗と戦ったという。

『逃げ上手の若君』

初登場時7歳。後に北条時行の盟友になる人物である。

生き神さまとあがめられ、諏訪一族にもちやほやされていたが、鎌倉幕府執権北条高時の遺児・時行が諏訪に逃げ延びたことにより状況が一変、

時行が頼継に代わってちやほやされることとなった。

そのことがおもしろくない頼継はあらゆる顔芸を見せつつ、時行に鬼ごっこを挑むが、

時行の並外れた体力に敗北、それでも懲りない頼継は

 「時行…おぼえてやがれです」と悔し涙を流すのだった。

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