第二次世界大戦中の1941年後半ごろ、ドイツはクレタ島の戦いの経験から、軽量の機関銃を求めていた降下猟兵(空挺部隊)用に開発されたのがこのFG42である。
他の国では当時、例えばイギリスのブレンガンのような、大量の軽機関銃 (LMG) を装備していたが、当時のナチスドイツにはブレンの先祖であるZB26が武装親衛隊に限定配備されていた程度であった。降下猟兵は限られた数のMG34を使用していたが、これは他国のLMGよりも重く、コンテナに詰めて投下されたが戦闘中に回収できないことが多く、兵が携帯して降下できる自動火器が求められた。こうしてヘルマン・ゲーリング (Herman Göring) の許可により、FG42が開発された。この銃はオートマチックで単射だけでなく連射することもできたので、分隊支援火器として使用できた(当時はまだアサルトライフル的運用概要が無かった)。