2004年10月23日、新潟県中越地震発生時に同新幹線浦佐駅~長岡駅間を時速約200kmで走行中に震源地近くで地震の直撃を受けた。10両編成(200系K25編成)のうち8両が脱線。1964年の東海道新幹線開業以来、初めての営業運転中の新幹線の脱線事故となった。
地震検知システム・ユレダスが機能したことで非常停止し、上越新幹線の便数が多くなく対向列車がなかったこと、豪雪地帯のため設計が丈夫なこと、耐雪設備の存在等の幸運もあり、死者・負傷者とも皆無で済んだ。また、最大震度7の地震の直撃を受けたにもかかわらず高架橋が崩壊せず、阪神淡路大震災で高速道路転覆を経験した建築業界にとって汚名返上となった。
ただ、もし同様の事態が設計が古く対向列車が多い東海道新幹線などで起きていた場合は大変なことになっていた可能性が高く、国内マスコミから「新幹線の安全神話崩壊!」と非難された。
対して、もともと鉄オタ界隈には冷蔵庫と称される鉄道評論家の起用などに関してアンチマスコミの思想が強く、とき325号を神格化するような運動も起きた。
死傷者皆無で済んだためか「325」は永久欠番とはならず、2021年3月現在も同じ号数を称する列車が東京駅14時40分発で運行されている(新潟行き、E7系12両編成)。
2022年福島県沖地震ではこの時の教訓が役に立ち、脱線はしたが倒れずに済んだ。