概要
初代藩主は本多忠勝、二代目は本多忠政、その後は松平家(厳密には松平家の中でも細かく分かれていてひとつの家ではない)が藩主となった。
東海道唯一の海路の港町として栄えた。蛤は当時から知らわれる名物だった。
幕末には歴史の表舞台にたびたび登場する。
藩主の松平定敬は京都所司代を務め、会津藩主で京都守護職の松平容保は定敬の兄だった。この頃の歴史の中心人物だった一橋慶喜・容保・定敬は名字または藩名から一字ずつを取って一会桑と呼ばれる。
戊辰戦争の開戦後は幕府側につくか新政府側につくか藩内でもめた。最終的には籤で決めることになり、結果は幕府側と出た。しかし最終的には桑名城は新政府軍に明け渡された。戦争の影響で定敬は桑名へ数年間帰れなくなってしまった。