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雅仁親王の編集履歴

2012-03-02 01:46:20 バージョン

雅仁親王

まさひとしんのう

親王時代の後白河天皇。

平安時代の第77代後白河天皇親王時代の呼び方。

大治2年(1127年)9月11日に鳥羽上皇の第四皇子として生まれたが、皇位継承順位からは外れており、鳥羽院と崇徳帝との確執や藤原氏内部の対立をよそに、気楽な立場で踊りなど遊びまわっていた。

とくに今様を気に入り、研究も重ねた。また、各層身分の人々や友人達を連れて、昼は一日中歌い暮らし、夜は一晩中歌い明かしたため、挙句歌いすぎて喉が枯れてしまうこともしょっちゅうだった。現代的に言えば、一日中カラオケで歌いすぎて喉痛めた感じ。

遊びをせんとやうまれけむ

要はこんな感じ。↑


しかし、本人の意思とは無関係に親王の即位へとつながった。

いわゆる帝王学を学ばなかったため、新しい時代に柔軟に対応できる天皇となり、平家源氏と渡り歩くこととなる。



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日本史 平安時代 天皇 親王

後白河天皇 後白河法皇 崇徳帝崇徳上皇平清盛

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