経歴
ポジションは捕手。右投右打。
江の川高校(現:石見智翠館高校)時代の1988年オフのドラフト会議にて、横浜大洋ホエールズ(→横浜ベイスターズ)から1位指名を受け入団した。
プロ1年目の1989年から公式戦80試合に出場するなど注目。球団名が横浜ベイスターズとなった1993年シーズンからは正捕手として、1998年シーズンのリーグ優勝・日本一に大きく貢献し同年ベストナイン入り。
2001年オフにMLB挑戦を表明してFA宣言をしたが、良い条件を得られずそのまま中日ドラゴンズへ移籍。中日では落合博満監督時代に正捕手として長きに渡り出場、4度のリーグ優勝と1度の日本一に貢献した。
リード面や強肩など守備力に定評があるが、2004年に24本塁打を記録するなど長打力もある選手で、新人から27年連続本塁打の記録も持つ。なお2011年に1度だけ一塁手として出場したことがある。
2013年に2000本安打を達成し、同年オフに選手兼任監督となった。2015年には野村克也を抜き、出場試合数のNPB新記録を達成した(通算3021試合出場)。同年現役引退。
2016年シーズンは監督に専念するも、成績低迷で同年8月9日に守備コーチの佐伯貴弘とともに休養すること(事実上の解任)を発表した。中日退団後は野球解説者として活動中。
ネタ
tanisige
tanasinnと語感が似ていることからプロ野球板で発生したニックネーム。自身の本来のローマ字の綴りは「TANISHIGE」だが、tanisigeスレではtanishigeは偽物として扱われた。
楽しげ(たのしげ)
男性的な重低音の美声である一方で、非常に無邪気で屈託のない笑い方をする事から、名字のもじりでこう呼ばれる。
応援歌
1:大洋時代(1989年~1992年)
鍛えたそのパワー かっとばせ
勝利をさあ目指せ ホームラン
※後に歌詞もそのまま村田修一に流用された。
2:横浜時代1作目(1993年~1998年)
ベースを盗む奴を 絶対許さぬ
正義の強肩唸らせて シゲ退治しろ
3:横浜時代2作目(1999年~2001年)
強肩強打の凄い奴
ゲームを作れ 勝利を呼び込め
シゲシゲ ハマの司令塔!
4:中日時代1作目(2002年~2013年)
ゲームを創れ 煌くナイスリードで
今日も期待してます シゲシゲファイトだ
5:中日時代2作目(2014年~2015年)
【前奏】攻めろ さあ そのリードで
オーみせろ その眼差し
さあ 谷繁元信 勝利へ導け
闘え 経験武器に
関連タグ
中日ドラゴンズ 横浜ベイスターズ(横浜DeNAベイスターズ) 引退したプロ野球選手一覧 捕手