1989年に江の川高校(現:石見智翠館高校)からドラフト1位で横浜大洋ホエールズに入団。
2001年オフに横浜ベイスターズから中日ドラゴンズへFA移籍した。中日では4度のリーグ優勝と1度の日本一に貢献。2013年に2000本安打を達成し、同年オフに選手兼任監督となった。2015年には野村克也を抜き、出場試合数のプロ野球新記録を達成した。
リード面や強肩など守備力に定評があるが、2004年に24本塁打を記録するなど長打力もある選手で、新人から27年連続本塁打の記録も持つ。なお2011年に1度だけ一塁手として出場したことがある。
2015年で現役引退を表明。2016年以降は監督に専念するも、同年8月9日、守備コーチの佐伯貴弘とともに休養すること(事実上の解任)を発表した。
tanisige
tanasinnと語感が似ていることからプロ野球板で発生したニックネーム。谷繁自身の本来のローマ字の綴りは「TANISHIGE」だが、tanisigeスレではtanishigeは偽物として扱われた。
応援歌
1:大洋時代(1989年~1992年)
鍛えたそのパワー かっとばせ
勝利をさあ目指せ ホームラン
※後に歌詞もそのまま村田修一に流用された。
2:横浜時代1作目(1993年~1998年)
ベースを盗む奴を 絶対許さぬ
正義の強肩唸らせて シゲ退治しろ
3:横浜時代2作目(1999年~2001年)
強肩強打の凄い奴
ゲームを作れ 勝利を呼び込め
シゲシゲ ハマの司令塔!
4:中日時代1作目(2002年~2013年)
ゲームを創れ 煌くナイスリードで
今日も期待してます シゲシゲファイトだ
5:中日時代2作目(2014年~2015年)
【前奏】攻めろ さあ そのリードで
オーみせろ その眼差し
さあ 谷繁元信 勝利へ導け
闘え 経験武器に