概要
ドイツ軍がWW2で開発した自走砲。制式番号Sd.Kfz.124。
II号戦車は1940年のフランスでの戦いで主力として運用されたが、ソミュアS35やB1bisの前には低い火力、低い防御力故大苦戦を強いられた。しかし機械的な信頼性は高かった車両である。そのため次の主力であるIII号戦車が到着するにつれて前線から離脱したII号の車台を流用する発送は至極当然とも言えるだろう。この車両が生み出された1943年は新たな主力戦車であるパンターをはじめとして多くの自走砲、突撃砲が開発された。ヴェスペ(ドイツ語:Wespe)はスズメバチの意味である。
本車は1943年、東部戦線で実戦参加し優秀な車両であることが示された。この戦果を聞いたヒトラーはII号戦車の生産を全てこの車両に回すように指示を出したほどである。ヴェスペは15cm砲を搭載したより大型のフンメルと共に装甲砲兵大隊で運用され、ロシアからノルマンディー以降北西ヨーロッパの広い地域で火力支援に使用された。1944年のアンツィオ上陸作戦では第26戦車師団、第29戦車擲弾兵師団の車両がアンツィオ海岸の敵陣地を砲撃、連合軍を苦しめている。その後も終戦まで戦い続けた。
本車の改修ラインは1943年の2月からソ連軍が工場のあるポーランドを占領した1944年中頃まで稼働を続けていた。
合計662両が製造され、別に非武装の弾薬運搬車158両も製造されている。
ソミュール戦車博物館、クビンカ戦車博物館、ムンスター戦車博物館に本車が展示されている。