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チャールズ3世の編集履歴

2022-09-09 22:54:34 バージョン

チャールズ3世

ちゃーるずさんせい

チャールズ3世(在位2022年~)とは、イギリス及び英連邦王国のウィンザー朝第5代目国王である。マウントバッテン=ウィンザー家初代イギリス及び英連邦王国国王でもある。

曖昧さ回避

  1. ウィンザー朝のイギリス及び英連邦王国の国王。当記事参照。
  2. ジャコバイトに擁立されたスチュアート家のイングランド・スコットランド王位請求者。若僭王。ジェームズ2世の孫。

解説

1948年11月14日、バッキンガム宮殿において、後にエリザベス2世となるエディンバラ公爵夫人エリザベスとエディンバラ公フィリップとの長男かつ当時のイギリス及び英連邦王国国王ジョージ6世の初孫として出生。


全名はチャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ


すでに母がイギリス王室の継承権第1位であったこともあり、慣例では女系子孫には与えられないイギリス王子の称号を祖父ジョージ6世の勅令により与えられる。



1952年に母がエリザベス2世として即位すると、王位継承権第一位となり、1958年に母よりガーター勲章および「チェスター伯爵」と「ウェールズ公」の称号を与えられ、事実上王太子となる。



父のエディンバラ公フィリップはデンマーク王家であるグリュックスブルク家(正確にはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク家)の分家にあたるギリシャ王家の出身であったが、イギリスに帰化した際にマウントバッテン(旧バッテンベルク)の家名を称していたことから、1960年に母が出した枢密院令により他の妹弟同様に家名をウィンザーからマウントバッテン=ウィンザーに改めた。



1968年に正式にウェールズ公を叙任され、1970年にイギリス貴族院の議席を得る。一方で、1972年には後の不倫相手もとい二番目の妃となるカミラ・ローズマリー・シャンドと出会っている。また、大叔父で最後のインド総督で親交があったルイス・マウントバッテンが1979年に暗殺された際には大きなショックを受けたと言われている。


1981年にダイアナ妃と結婚し、1982年にウィリアム(現ケンブリッジ公)を、1984年にはヘンリー(現サセックス公)を儲ける。しかし、既婚者であったカミラとの不倫が続いていたことなどがあり、1992年に別居したまま1996年にはダイアナ妃と正式に離婚している。


1997年の香港返還式典に出席し、同年に起きたダイアナ元妃のパリでの事故死の際にはダイアナの姉妹とともにパリに移動している。


ダイアナ元妃の死後、既に離婚経験者となっていたカミラと公然と交際するようになり、2005年にはカミラと再婚をする。ちなみに、イングランド国教会にはその首長たる国王が離婚経験者と結婚する事を認めない規定があるが、この時点ではイングランド国教会首長ではない。また、カミラの称号はダイアナ元妃に配慮してコーンウォール公爵夫人を称することとなった。


ダイアナ元妃の死去から10年経た2007年の時点でチャールズとカミラに対する印象は以前よりは好転したものの、イングランド国教会の首長を国王が兼務することもあり、エリザベス2世の次はチャールズでなく、その息子のウィリアムが継承すべきとの世論も依然存在する。


2008年1月には後述の交遊などもあり、世界の要人でいち早く、2008年北京オリンピックの式典・競技に一切出席しない意向を民間団体に表明している。



2011年に王太子在任期間がヴィクトリア女王の王太子時代のエドワード7世を抜いて歴代1位となる。ただし、プリンス・オブ・ウェールズとしての期間では依然エドワード7世の方が長かった。


また、同2011年には長男のウィリアムがキャサリン・エリザベス・ミドルトンと結婚し、2013年には初孫のジョージが出生している。



2016年9月15日、スコットランドのバルモラル城敷地内で自動車に乗っていたところ、シカと交通事故を起こして乗っていたアウディ・A4・オールロードクワトロが大破したが、本人の命には別条なかったらしい。


2022年9月8日、母のエリザベス2世が崩御したことを受けてイギリス及び英連邦王国の国王に即位する。チャールズの名を持つイギリス国王は1685年に死去したスチュアート朝のチャールズ2世以来のことである。





人物

環境問題に強い関心を持っており、自領のコーンウォール公領で、有機食品を生産したり、家庭菜園でも有機農法を実践している。


また、チベット問題にも関心を持ち、ダライ・ラマ14世とも交流がある。この事もあり、逆に中華人民共和国とは距離がある。


イングランド国教会の首長に就く立場ではあるが、イギリス国内におけるイスラム教の研究に様々な貢献を行うなど、他の宗教に対しても寛容な姿勢で知られる。


関連タグ

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