昌文君
しょうぶんくん
概要
CV:仲野裕
実写:高嶋政宏
秦国の文官で秦王派の中心人物。
しかし昔は最前線で戦った武人でもあり、昭王の時代を知る古参。
作中開始時点で既に文官だったが、摎の素性に関する重大な秘密を知っており、少なくとも摎が戦死した時点で武将だったことが明らかとなっている。
軍事においては昌平君に助言を求められる程であり、かつては王騎が一目置いていた。王騎と出会ったのは互いに百人将だった時。この時点で王騎より少し先輩だった。特殊部隊を率い、戦場で活躍していた。
非常に早い段階で嬴政が昭王すら超える器であると見抜き、忠誠を尽くす。嬴政の教育係でもあった。
成蟜の反乱による王都奪還の時に無力であった自分を恥じ、文官の極みである丞相を目指すこととなった。
文官の座に就いたばかりの頃は発言力はもちろんなく苦悩したが、
治水などで大きな成果を上げて着実に地盤を固め、かつての敵であった成蟜の協力もあり、丞相の地位を掴み取る。
来歴
紀元前253年 王騎、摎と馬陽を攻める。このとき龐煖と会う。
紀元前251年 趙を脱出した嬴政を助けに騎馬隊を率いる。紫夏の最後を見届ける。このときから嬴政の教育係を務めていたものと思われる。
紀元前247年 嬴政が即位する。
紀元前245年 漂を召し抱え嬴政の影武者にする。王弟・成蟜と左丞相・羯氏が反乱を起こす。
紀元前244年 趙軍が馬陽に攻め込んでくる。蒙武を総大将に据えることに反対し、代わりに王騎を推挙する。
紀元前243年 勝手に李牧を咸陽に呼び寄せた呂不韋に激怒する。
紀元前242年 秦軍、魏の山陽に攻め込む。昌平君に廉頗の恐ろしさを警告する。このころ、丞相になったものと思われる。
紀元前241年 合従軍が攻め込んでくる。函谷関防衛戦では、昌平君らと咸陽で軍略を練る。蕞防衛戦では嬴政と共に出陣、西壁の指揮を執る。
紀元前238年 昌平君や介億、黄竜、蒙毅、壁を含めた兵一千、飛信隊一千、蕞兵一万、豹司牙率いる黒騎兵と共に毐国反乱軍を鎮圧。