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田中賢介の編集履歴

2022-09-28 21:55:27 バージョン

田中賢介

たなかけんすけ

福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。

概要

1981年5月20日生まれ、福岡県出身。O型。

ポジションは内野手、右投左打。


1999年ドラフト2位指名。中日、西武との競合の末、日本ハムファイターズ(現

北海道日本ハムファイターズ)が交渉権を獲得した。08年〜11年の間選手会長を務め、12年からは稲葉の後を継ぎキャプテンに就任。


2006年には2番打者として最多犠打を記録。規定打席に到達して25年振りのリーグ優勝、日本一に貢献し、ゴールデングラブ賞とベストナインを受賞した。2006〜10年まで5年連続でゴールデングラブ賞を受賞しているが、入団当初はスローイングに難があり、ポケットの中のロージンを触っていたため、手が荒れていた。


2010年国内FA権を獲得するも行使せず3年契約で残留。「北海道とファイターズが大好きなので」

しかし2011年は序盤、盗塁時の骨折のためほぼシーズンを棒に振る。オフ、次年のバース(阪神)越えを誓う。

2013年サンフランシスコ・ジャイアンツ(かつて新庄剛志も所属)にマイナー契約。

2015年より古巣・北海道日本ハムファイターズへ復帰し、2019年に引退

引退後は球団SAに就任。NHKでの野球解説業の傍ら、学校法人田中学園立命館小学校の理事長を務める。


エピソード

  • その類い稀なファッションセンスが注目される、ハムのファッションリーダー。一般ファッション誌にも登場し、スタイリストさんもうちょっとなんとかしてあげて、と言われる。

(例)黄色いサンバイザー&Tシャツ、ドラえもん色のニット帽&パーカー、全身ピンク、など

  • 鶴岡慎也とは、中学時代からの親友。鶴岡が結婚してからはちょくちょく家に遊びに行きご飯を御馳走になっていた。
    • 鶴岡慎也の披露宴の三次会で共にべろんべろんになり、賢介が鶴岡を自宅に送るも、すっかり安心してしまい、結婚初夜の鶴岡宅で昼まで寝てしまう。その上昼食と風呂もやっかいになる。
  • 2008年、運転免許書換のために手稲曙へ。「稲葉さんやツルが騒がれたから俺が行ったら大変なことに…」とドキドキしながらコソコソ出かけたものの誰にも気づかれず、堂々と顔を上げて帰宅。
  • 2009年オフの断食期間中、外出もままならないので家に居るが、やる事がとうとうなくなるといった極限状態を迎え、思わず自身のブログに 「1人しりとりでもやろっかな」と1億円プレイヤーらしからぬ事を書き込む。
  • 2009年七夕イベントで選手が短冊を記入したが、 「選手会長が早く結婚できますように」 と他の選手に書かれまくる。
  • 2012年に札幌テレビの西森千芳アナ(当時)と結婚。子供が2人いる。
  • 現役時代はアウトをひとつ取るごとに乳がん検診を奨励するピンクリボン運動を支援していた。
  • ファイターズの本拠地が札幌ドームだった時代、札幌ドームでの歴代最多安打数の573安打を記録している。

関連項目

引退したプロ野球選手一覧

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