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多砲塔戦車の編集履歴

2012-04-10 20:08:41 バージョン

多砲塔戦車

たほうとうせんしゃ

第一次世界大戦からの戦間期に各国で研究された砲塔が複数存在する戦車。

概要

第一次世界大戦

第一次世界大戦から誕生した戦車は、第一次世界大戦時に、欧州での西部戦線において

塹壕突破兵器としてニーズが生まれた。1917年に登場したルノーFT-17 軽戦車が採用した、

全周旋回可能な砲塔を車体上部に搭載する形状が、効率的な戦車のレイアウトとして確立され、

その後の多くの戦車がそれに倣うようになった。


多砲塔戦車の誕生

第一次世界大戦後になっても、戦車の研究開発が続けられた。しかし、

未に世界では戦車はあくまで塹壕突破兵器という認識が強く戦車同士の戦闘は想定されなかった。

そんな中イギリス軍参謀本部の構想に基づき1925年にビッカース・アームストロング社でA1E1 インディペンデント重戦車が製造された。これは、歩兵と共同ではなく戦車単体で塹壕を突破する狙いのもとで開発され車体に砲塔が大小合わせて5基搭載されこれが、世界で最初の多砲塔戦車である。


世界の反応

インディペンデント重戦車は各国で注目され各国で多砲塔戦車が次々と誕生したが世界恐慌による影響などの諸事情で試作機にとどまり量産されることはなかった。しかし、世界恐慌の影響を受けないソ連ではインディペンデント重戦車を参考にした。T-28中戦車やT-35重戦車などが量産されることになり、特にT-28の生産数は500輌を超えた。


問題点

複数の方向へ死角無く機銃を配置することで、側方や後方からの攻撃を防御しようという意図がありまた、単独使用でも歩兵の肉薄攻撃に耐えうることを意図した発想である。特に側面攻撃から守られることは、戦車の敵陣突破を容易にすると考えられていたが、デメリットも大きかった。

主なデメリットは、以下のもである。


  1. 大型化と重量増による機動力の低下
  2. 重量軽減のために全体的に装甲が薄い(例えば、T-35の最大装甲厚は正面の30mmで、初期のIII  号戦車と同等)
  3. 操作人員の増加による戦車内の指揮混乱
  4. スペース不足による整備性の低下
  5. 高価格
  6. 設計コンセプトが実戦にそぐわない(塹壕突破兵器としての多砲塔戦車の設計コンセプトとは裏腹  に、第二次世界大戦において塹壕戦はさほど多くなかった)。

第二次世界大戦だは戦車による機動戦術が主体となり戦術にそぐわない多砲塔戦車は重要性を失っていきソ連でも、第二次世界大戦で実戦投入されたのを最後に姿を消した。


各国の多砲塔戦車


イギリス

Mk.III中戦車

A1E1 インディペンデント重戦車

巡航戦車Mk.I(A9)

ソ連

T-28中戦車

T-35重戦車

SMK重戦車

T-100重戦車

フランス

シャール FCM2C重戦車


ドイツ

NbFz(ノイバウファールツォイク)


日本

九一式重戦車

九五式重戦車

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