概要
若くから学問を学び、武勇にも優れていた。初めは東莱郡の官吏を務めていた。ある時、母の面倒を見てくれた恩人の孔融が治める青州に、黄巾賊の残党の大軍に攻められ包囲される。彼を助けるため救援に駆け付けるが、苦戦を強いる。太史慈は、策を用いて包囲を突破して平原の劉備に援軍を要請し、黄巾賊を撃退、彼の武勇を轟かす。
その後、劉繇の下にいた時に孫策が軍を率いて攻めて来た。その際、偵察の時に遭遇した孫策と一騎打ちを繰り広げたが決着は着かなかった。劉繇は敗れ、自身も捕らわれたが、孫策に武勇を買われて自らの配下に誘われる。そして、敗残兵を集めて戻ってくると約束し孫策の下を離れる。孫策の部下の多くは信じなかったが孫策は信じていた。太史慈は約束通り敗残兵を連れて戻ってきた。この功績により都尉に任ぜられる。
その後、呉の武将として、功績を立て続け孫策、孫権に重要され、曹操に自分の家臣になるように誘われる。その勧誘を断り呉に忠義を貫いた。
三国志演義
演義ではおよそ前述通りに書かれているが、正史では赤壁の戦い前に死去するが、演義では在命しており、合肥の戦いで張遼に奇襲を仕掛けるが、見破られ罠にかかり全身に矢がささり戦死している。