無題byかんづめ一般人物正親町三条公秀おおぎまちさんじょうきんひで正親町三条公秀とは鎌倉時代末期から南北朝時代の公卿。pixivで「正親町三条公秀」のイラストを見るpixivで「正親町三条公秀」の小説を読むpixivで「正親町三条公秀」のイラストを投稿するpixivで「正親町三条公秀」の小説を投稿する概要正親町三条実躬の子、官位は正二位、内大臣、崇光・後光厳天皇の外祖父。プロフィール時代鎌倉時代ー南北朝時代生誕 弘安8年(1285年)死没 貞治2年/正平18年8月2日(1363年9月9日) 官位正二位、内大臣主君後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇→光厳天皇→光明天皇→崇光天皇→後光厳天皇氏族正親町三条家父母父:正親町三条実躬、母:聖海の娘兄弟公秀、光明天皇後宮 子実数、実継、実音、秀子、四辻実郷室経歴弘安9年(1286年)に従五位下、右近衛少将・右近衛中将・蔵人頭を歴任して徳治2年(1307年)に参議となる。延慶2年(1309年)に権中納言に就任、元応3年(1321年)に権大納言、正平7年/文和元年(1352年)に内大臣となる。外部リンク正親町三条公秀 - Wikipedia関連タグ公家 正親町三条家 鎌倉時代 南北朝時代関連記事親記事正親町三条家おおぎまちさんじょうけ