概要
AIウマシコ問題とは、AI生成画像によるウマ娘のR-18イラスト問題の総称である。ここではAIを含めない手描きのウマシコは原則として取り扱わないが、背景事情の説明のためやむを得ないため、必要最小限の範囲において解説する。
背景
元々、ウマ娘プリティーダービーという作品は実在する競走馬を擬人化したキャラクターが多数登場し、馬主を始めとする多くの方々の協力の上で成り立っている。その経緯上、「半ナマ」に近い性質を持っているため、R-18系を二次創作することが規約違反となっており、かつて馬主に対して問題行動を起こす者もいた事も相まって、お色気表現についてはとりわけ慎重な姿勢が求められる。(参照)。
これは法的な規制ではなくあくまで規約の範疇だが、これが守られないと競走馬をモデルにして馬の名前を使用する許可を得られなくなり、最悪「ウマ娘」というコンテンツ自体が潰れかねない問題である。
歴史
初期のウマシコ
ウマ耳をヒト耳に変える、バストサイズなどの体型を改変するなどして、「よく似ているだけの無関係のキャラクター」という名目で活動していた絵師は存在した。棲み分けはできていたようでSNSではこれらをまとめたアカウントには手を出さなかった(参照)。
しかしながら、「ウマ耳でなければ別キャラ」「体型を変えれば別キャラ」との理屈はサイゲには通じなかったようで、こういった作品は現在、その大部分が作品削除や絵師のアカウント停止といった形で閲覧不能になっている。
AIウマシコ誕生
2022年半ば頃からAI生成イラストの精度が上がったことによりウマシコは次の段階に移行した。AI生成によるR-18の濫造である。
禁止されているウマ娘のR-18イラストを投稿するばかりか、デジタル作品販売サイトなどにも出品する人物が大量に出現、問題視されている。
当然ながらこれらは「よく似ているだけの無関係のキャラクター」等という建前を使う事すらせず、ダイレクトにウマ娘などの名称を使って作品を販売していることが殆どで、ウマ娘の規約上は完全に黒である。
これもAI生成イラストそのものではなく、それを使うユーザーの問題ではあるが、「AIイラスト生成を利用するのはそういう人間が多い」、「AIによりイラストの出力が簡単になったがために生まれた問題」と言う意味ではAIイラストの闇とも言える。
余談
二次創作界隈では、作品を深く理解しようとせずに売れているジャンルにコロコロ鞍替えを繰り返す「同人ゴロ」と呼ばれる行為が嫌われる事が多いが、ウマ娘のAI生成イラストの作品を販売するような人物はまさにそれ。
前述の通りAI生成だと生成するたびに微妙に違うイラストが出力されるため、うまくハマった一部を除いてキャラクターの特徴から外れているイラストが多いのだが、この手の粗製乱造作品はその辺を修正しようともせずにそのまま販売している事も多い。当然、手の指などの細部が崩れていてもそのままである。規約すらまともに見ていないのだから当たり前だが。
ウマ娘は上記のガイドラインの存在により、一般絵師によるR-18ジャンルが無人になっていたため、この手の「ゴロ」にとってはある意味格好の標的であった。オリジナル・二次創作問わずエロ系は人気が高いのも確かであるが、きちんと手間をかけて自分の手でイラストを描いている人間にとっては、「好きなジャンルで活動できなくなるリスク」はとても大きいものであるため、規約違反などに関しては二の足を踏まざるを得ない。
言い換えれば、イラストを描くには技術が必要で参入ハードルが高く、活動できなくなった際の影響が大きいからこそ、これがリスクとして機能していた。AIイラスト生成によって、必要な技術が義務教育レベルの語学力のみとなったため、その安全装置が以前ほどは機能しなくなってしまったとも言えよう。
今後考えられるリスク
AIウマシコ問題に該当するようなイラストが今後さらに増えた場合、ソフトの仕組みによってはこれらの規約違反作品を学習ベースにして新規イラストが生成されてしまう可能性がある。すなわち、AIウマシコ勢には該当しない、善良なAI絵師が、性的ではないイラストを出力する意図をもって生成した画像に、R-18には該当しないがサイゲや馬主の逆鱗には十分触れうるお色気画像ばかりが生成されてしまい、せっかく生成したイラストが公開できなくなってしまうというリスクが、近い将来つきまとうことになっても不思議ではない。
実際、ウマシコ勢ではない一般のAI絵師が出力したウマ娘の水着画像をよく見てみると、鼠蹊部に体の線が微かに浮き出ている作品や、乳首と思われる突起がうっすらと確認できる作品が、令和5年4月現在すでに(数は多くはないが)見られる。
AIイラストの学習システムは未解明な部分が多いため断言できないものの、今後AIソフトを用いてウマ娘のイラストを生成すること自体が、物理的にではなく環境実態としてできなくなってしまうということは杞憂とは言い切れない。