概要
アメリカ合衆国とエジプトの関係(アメリカがっしゅうこくとエジプトのかんけい、英語:Egypt–United States relations、アラビア語:العلاقات المصرية الأمريكية)は、アメリカ合衆国とエジプトの国際関係の事である。両国関係は主にイスラエルとパレスチナの紛争・テロ対策など、中東の地域的な問題によって大きく左右されてきた。エジプトはMNNA(主要な非NATO同盟国)によってアメリカと同盟関係にあり、中東におけるアメリカの重要な同盟国とも評された。
両国の比較
国名 | 政体 | 現在の首脳 | 国土 | 人口 |
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アメリカ合衆国 | 大統領制 連邦共和国 | ジョー・バイデン | 962万9091平方キロメートル | 3億3328万7557人(2022年7月) |
エジプト | 半大統領制 共和国 | アブドルファッターフ・アッ=シーシー | 101万408平方キロメートル | 1億777万524人(2022年6月) |
歴史
1848年8月に外交関係を樹立し、1849年3月にダニエル・スミス・マッコーリーが駐エジプト大使となった。アメリカは当時エジプトがそれぞれオスマン帝国とイギリスに支配されていた時期は、エジプトとの取り引きを最小限に抑制して非公式の外交関係を維持していた。1922年2月にエジプトがイギリスから独立すると、同年4月に正式な外交関係が開始された。
1956年6月に大統領に就任したナセルは、親ソ連・反イスラエル姿勢によってアメリカを敵対させた。同年11月にアメリカはイギリスとフランスに侵略を直ちに強制終了させる事で、彼を権力の座に保つのを支援した。アメリカの政策はこの地域におけるアメリカとイスラエルの利益を支持する政府で、特にサダトとムバラクを強力に支援する事であった。
1967年6月にアラブ・イスラエル戦争が発生すると、イスラエルはシナイ半島・ガザ地区・ヨルダン川西岸(ヨルダンから東エルサレムを含む。)・ゴラン高原を占領した。アメリカはソ連の介入を防ぐ為に停戦の交渉を試み、平和協定と引き換えにイスラエルに占領地を返還するように奨励する国際連合安全保障理事会決議242を承認したが、エジプトは戦争中にアメリカがイスラエルを支援したと非難し、この戦争でエジプトはアメリカとの外交関係を断絶した。
1974年2月に外交関係が回復され、同時にアメリカはシャトル外交に従事した。1975年9月にイスラエルとエジプトは、アメリカが仲介したシナイ暫定協定を締結した。1978年9月にカーターの仲介でキャンプ・デービッド合意が締結され、これは1979年3月に締結されたエジプト・イスラエル平和条約に直接繋がった。サダトはアメリカの援助がイスラエルの紛争から解放され、地域の平和政策を追求する事を可能にした為、その目標に不可欠である事に気付いた。
2019年3月にポンペオ国務長官はSu-35を購入しないようエジプトに警告し、アメリカ連邦議会の上院の予算公聴会で「これらのシステムを購入する場合、CAATSA(敵対者に対する制裁措置法)は政権に対する制裁を要求する事を明確にした。」と述べた。2021年2月にバイデン政権はエジプトに対し、1億9700万ドル相当のミサイルを売却する可能性を承認したと発表した。