生涯
1900年6月29日にフランスのリヨンに生まれる。幼少期から読書と飛行機が好きであり、12才の夏に初めて飛行機に乗って以来、パイロットを志すようになる。
21才に初めての単独飛行を行う。その後の1924年に郵便飛行士として雇用され、サハラ砂漠を縦断しながら、北アフリカ、フランス、スペインへ郵便を配達していた。
1926年、文芸雑誌に短編小説を発表し、その3年後に「南方郵便機」でデビュー。
1931年に発表した「夜間飛行」が1933年にアメリカでクラーク・ゲーブル主演で映画化され、この頃よりサン=テグジュペリの国際的な知名度が高まる。
以来、飛行と執筆活動に勤しむものの、第二次世界大戦の最中の1940年、ナチスがフランスに軍事侵攻を始め、命からがらアメリカへ亡命する。その際ニューヨークで作品を出版した後、1943年にフランスに戻り、北アフリカのアルジェで解放戦争に尽力した。
1944年7月31日、単独で偵察飛行に飛び出したまま行方不明となった。享年44才。
飛行家として
物心ついた時から、飛行への並々ならぬ憧れを抱いていたことで有名である。僅か8才でエンジンや機械に興味を持ち、空飛ぶ電動自転車の設計図を作成するなど、早くもある種の才能を開花させていた。
公私に渡り、飛行機への情熱を絶やさず、常日頃から「ぼくの唯一の慰めは操縦することだ」と語っていた。
その愛の強さは、後の妻を飛行機の助手席に乗せて曲芸飛行を披露し、恐怖におののく彼女に強引にプロポーズを迫ったという噂が立つ程だった。
1923年に初めての大事故を起こして以来、幾度も命を危険に晒してきたが、その都度九死に一生を得て生還している。しかし、度重なる飛行機事故が祟って体中が古傷だらけだったため、晩年は高空飛行による筋肉や骨組への負担が尋常ではなく、苦痛は相当なものだったという。
2008年に、サン=テグジュペリを撃墜したというドイツ兵の証言が挙がったが、一方で不明瞭な点も多く散見されるため、その最期は現在でも謎に包まれている。
余談だが、サン=テグジュペリはある日占い師から「…40才をすぎたら、飛行機にお乗りのときは用心なさいませ」と警告を受けたことがあったらしい。この話の真偽は定かではないが、皮肉にもサン=テグジュペリは実際に40代半ばにして、この世を去る結果となってしまった(これらの噂は1992年1月12日に放映された「関口宏の知ってるつもり!?」より引用)。
短い生涯とキャリア故に寡作であったが、その作品群は手塚治虫や宮崎駿といった日本のクリエイターにも大きな影響を与えた。特に宮崎はサン=テグジュペリの熱狂的な愛読者であり、後のスタジオジブリ作品を始めとするあらゆる作品において、非常に強い影響を受けていることを認めている。参照
主な作品
「南方郵便機」
「夜間飛行」
「人間の土地」
「戦う操縦士」
「ある人質への手紙」
「星の王子さま」